魚ヘンに「亀」と書いて

来年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』に、大泉大センセイが御出演なさるというお話は、このブログでも先に書かせていただきましたが、ナックスからもうお一方の出演が決まりました。
NHK、そして時代劇といえば、もうあの方しかいません。
そうです。目と目の間は離れてても、あなたの心は離さない音尾琢真です。
扮する役どころは、土佐勤王党の一人・望月亀弥太――「かめやた」って読むんですねぇ。あたしゃ、てっきり「きやた」ってぇのかと思ってましたよ。いくら江戸時代・幕末だからって、「かめやた」って……
〝海から来た侵略者〟音尾琢真、ついに魚類から爬虫類に進化です(笑)


この望月亀弥太という人物、歴史の表舞台にはあまり出てきませんが、ちょっと幕末史をかじった事のある人ならば「あぁ! あの人か」と思い当たる人物です。

亀弥太は、天保8(1837)年9月、土佐藩白札郷士である望月団右衛門の二男として生まれます。
〝白札郷士〟というのは、関ヶ原の戦い以前に四国を支配していた長宗我部家の旧臣〝一領具足〟のうち、特別な家系や功績があったと認められ、山内家の古くからの家臣と同等の扱いを許された下級武士の事です。
文久元年、武市半平太が土佐勤王党を結成すると、亀弥太は兄の清平とともに参加し、尊王攘夷運動に奔走します。翌年、公武合体を強く推し進める土佐藩主・山内容堂が、朝廷と幕府との仲介の為に京都上洛という段、その警護団の一員に亀弥太も加わり、京都へ行く事になります。
京都に着いた亀弥太、坂本龍馬の勧めで、勝海舟が総監を務める神戸海軍操練所(海軍塾、勝塾とも)で航海術を学ぶ事になります。
この経緯には諸説あり、海軍力強化を狙う土佐藩の藩命だったというのが専らの説ですが、そのお膳立てをしたのが龍馬だったという話もあります。
ちなみにですが。
亀弥太の兄・清平は、坂本龍馬と深い友情で結ばれた無二の親友だったと云いますから、亀弥太と龍馬も、まったく縁遠い訳ではなかったと思います。

さて。
やがて時代が動きます。
文久3(1863)年8月、公武合体派によるクーデター(八月十八日の政変)が起き、三条実美ら尊皇攘夷派の七公卿と長州藩の過激派が京都から追い出されてしまいます。
これを受けて、9月には土佐藩で、攘夷派の急先鋒である土佐勤王党に対する弾圧が始まり、海軍塾で修行する土佐藩士には帰国命令が出されます。
亀弥太ら土佐者は、この命令を無視する形で土佐藩を脱藩。長州藩邸に身を寄せることで、尊王攘夷運動にますます傾倒してゆく事になります。
一方、京都から追われた長州藩士は、自分たちを追い出した薩摩藩・会津藩を駆逐し、京都を占拠する企みを計画し(単に、幕府側に捕まっている仲間の救出計画を立てていたという説も)連夜密会を繰り返します。やがて、その渦中に亀弥太も巻き込まれて行きます。
元治元(1864)年6月5日夜半、京都三条木屋町にあった旅籠・池田屋に密かに集合し、反転攻勢の為の合議を行なっていた長州藩士を新撰組の一派が襲撃します。世に云う池田屋事件です。
この合議に加わっていた亀弥太、手傷を負いながらも新撰組隊士2人を斬り倒し、命からがら逃げ出します(一説では、無傷で池田屋を逃げ出したものの、市中見廻りの会津藩兵に見咎められ、そこで斬り合いになって手傷を負ったとも)。追手を振り切り、何とか長州藩邸(一説では加賀藩邸とも)の門前まで逃げてきますが、事が藩全体に及ぶのを惧れた長州藩は、門を固く閉じ、亀弥太を追い返します。「もはやこれまで」と観念した亀弥太、その場で割腹し果てたのです。
望月亀弥太。諱は義澄。享年26歳。
坂本龍馬も勝海舟も、その死をいたく嘆いたと云われています。明治31(1898)年には、従四位の勲位が贈られています。


こうしてみると、大泉さん演じる近藤長次郎にしろ、音尾さん演じる望月亀弥太にしろ、この時代を突き動かした人たちは、揃って非業の死を遂げてますね。この二人以外にも、久坂玄瑞や高杉晋作もそうですし、龍馬も中岡慎太郎とともに暗殺されますし。明治に入ってからも、西郷隆盛は西南戦争で自刃してますし、大久保利通も暗殺されてますし、伊藤博文もハルピンで暗殺されてますし。
こういった多くの犠牲の上に成り立っている近代日本。そう考えると、幕末・明治という時代は、何だか哀しくせつないもののように思えてきます。

まぁ、演技には定評のある音尾さんの事ですから、そんなに心配にはなりませんが、果たしてどんな演技を見せてくれるんでしょうねぇ。


魚から亀に進化した(笑)音尾さん、これは必見ですよぉ!

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