12年に一度の神事・松江ホーランエンヤ

米子から松江までJR片道運賃480円。でも味噌汁付かない。
……ありゃ?(笑)
以前、〝出雲郷(あだかえ)〟という「こんなの絶対読めねぇって!」な地名に導かれて、その地名の由来となった阿太加夜神社を散策したお話をしましたが。
その時に、12年に一度行われるお祭り「ホーランエンヤ」の事をちょこっとしました。
で。
今日がその「ホーランエンヤ」が行われる初日という事で、どうにも空模様が怪しい中ではありましたが、松江は宍道湖大橋の袂まで出かけてまいりました。
はぁ~……こんなお祭り、あったんですねぇ~。


「ホーランエンヤ」とは、安芸宮島の管弦祭、大阪天満の天神祭と並び、日本三大船神事の一つに数えられているお祭りです。松江城内に鎮座する城山稲荷神社の御神体が、宍道湖と中海をつなぐ大橋川を100隻にもなる大船団に護られながら、下流にある〝国引き神話〟に縁のある阿太加夜神社まで移動され、そこで五穀豊穣と天下泰平を9日間にわたって祈願、再び城山稲荷神社に戻られるという一連の御神幸祭を言います。
初日、御神体が阿太加夜神社へ遷られる「渡御祭」、祭の中日に行われる「中日祭」、最終日、阿太加夜神社から城山稲荷神社へ戻られる「還御祭」の三祭が、このホーランエンヤの見所となっています。特に、神輿船を先導するように進む櫂伝馬船の上で踊られる勇壮な〝櫂伝馬踊り〟は、この祭り最大の見所になっています。

この祭りの由来は、今から360年ほど前、江戸初期に遡ります。
慶安元(1648)年、出雲国が大凶作の危機に見舞われました。これに心を痛めた松江・松平家初代藩主の松平直政公が、当時効験の誉れが高く、稲荷神社の社司も兼務していた芦高神社(現在の阿太加夜神社)の神主・松岡兵庫頭に命じ、城内に祀られた城山稲荷神社の御神霊を芦高神社へ船でお運びし、長期にわたり五穀豊穣を祈願させました。祈願は見事に成就し、以後、12年に一度、神幸祭が行われる慣わしとなりました。
最初の神幸祭から160年後の文化5(1808)年の御神幸の折、風雨が激しくなり神輿船が危険な状態になったのを、馬潟村の漁師が救い、阿太加夜神社まで無事送り届けました。以来、馬潟村の櫂伝馬船が神輿船の曳き船を務めるようになり、矢田・大井・福富・大海崎の各村の櫂伝馬船も曳き船の列に順次参加するようになりました。
この馬潟・矢田・大井・福富・大海崎の5つの地域を五大地と呼びます。
(そういった経緯もあり、それぞれの櫂伝馬船には村の名が記されているのですが、馬潟の櫂伝馬船に限っては「いの一番に駆けつけた」という意を込めて『い一まかた』と記されています)
神幸祭の船行列は、いつの頃からか櫂伝馬船の上で〝櫂伝馬踊り〟が披露されるようになり、色とりどりの装飾と賑やかな唄も加わり、現在の船神事の形になったと云われています。
後年より、五穀豊穣にあわせ、国民の健康や幸せを祈願する祭りとして、現代に至るまで脈々と守り受け継がれ、古くより神幸祭が行われる年は平和であり、経済好況であったと伝えられています。
この大不況の中で執り行われる今年の神幸祭、吉と出ますか凶と出ますか……

「ホーランエンヤ」という名前ですが、櫂伝馬船の船上で唄われる櫂かきの掛け合いの音頭といわれています。「豊来栄弥」とも「宝来遠弥」とも書かれる「ホーランエンヤ」は、古くは音頭取りの「ホーラ」の掛け声に、櫂かきが「エンヤ」と声を合わせて櫂を漕いでいましたが、やがてこの二つの詞が一つとなり「ホーランエンヤ」となったとされています。
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黄金色に輝く宝珠(仏様が手に持っている、願いを叶える宝の玉。宝来とも呼びます。「宝来遠弥」の〝宝来〟ですね)と色とりどりの小旗・吹流しが舞うマストや、船縁を飾るモールなどで、色彩豊かに彩られた櫂伝馬船。それに付き従う数十隻の船が織り成す大船行列。
ホーランエンヤの唄声に整然と揃う櫂さばき。一糸乱れぬ動きでピッ!ピッ!と櫂が水面を踊ります。
櫂伝馬船の舳先では、「剣櫂(けんがい)」と呼ばれる歌舞伎姿の男衆が、船を漕ぐ櫂を剣に見立て、威風堂々の見得を切ります。
一方、船の後方では女装姿の「采(ざい)振り」が、七色の和紙や布を竹に付けた〝采〟を振り、天に向かって上体を大きく反らせ、艶めかしく身をくねらせながら踊ります。
この〝櫂伝馬踊り〟、御神体を乗せた神輿船を大きく囲むようにして、橋と橋の間を回航しながら踊りを奉納し、それがいくつかある橋を越える度に繰り返され、詰め掛けた見物客の前で絢爛豪華な一大錦絵巻が繰り広げられるのです。
皆さんが思い描くような威勢のいいものではなく、ましてや船同士が何かを競ったり、喧嘩神輿のように船同士をぶつけ合うような事はありません。
祭りとは申せ、あくまで神事ですから。
静かに静かに進みゆく様は、江戸期が始まりとはいえ、どこか荘厳な時代絵巻とも取れる厳かな祭りです。

幸い、雨は昼近くにパラパラと降った程度で、何とか持ちこたえました。

この後、「ホーランエンヤ」は、中日にあたる20日(水)に「中日祭」が行われ、阿太加夜神社の裏手を流れる意宇川で再び櫂伝馬踊りが奉納されます。
そして最終日の24日(日)、御神体が城山稲荷神社へ戻られる「還御祭」で、今日と逆のルートを辿る船行列と櫂伝馬踊りが奉納され、12年に一度の船神事は終わりを告げるのです。

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