春雨じゃ、のらりと参ろう

雨の降る日は 天気が悪い
悪いはずだよ 雨が降る

高校時代からの親友に教えてもらった、彼の自作の詩です。一部抜粋。
本当はもっともっと長い詩なんですが、どうもこのフレーズだけが頭にこびり付いて離れないんですよ。もう二十年近くが過ぎようとしてんのに。
よっぽどインパクトがあったんですかね。
で。
この1ヶ月の心境ってのが、まさにこのフレーズ。
人が休みだって~と、必ずと云っていいほど雨が降る。
ピーカンとまでいかなくても、多少曇ってるくらいなら何処か遊びに行こうと思うんですが、起きがけに(あるいは夜中に)屋根を伝う雨音を聞いてしまうと、そんな気力もいっぺんに萎えてしまいます。何も人が休みの時狙って降らなくたって……ねぇ?
お陰さまで、発売と同時に仕入れた『春の青春18きっぷ』は、まだ一度も使えてません。このまま下手すると、過去最大の余らせ方と申しますか、はっきり云って〝ドブ捨て〟状態。
いけません、いけません。使わなきゃ。旅しなきゃ。

そんな訳で。
夜勤明けのボケボケの頭でもって、ざんざん降りの雨の中、飛び乗ったのは15時13分高松発の『快速サンポート号』。これで観音寺まで行き、松山行き普通列車に乗り継ぎます。
目的地は愛媛県今治市。到着予定は18時34分。
観光スポットも何もかも閉まっちゃってる時間帯ですねぇ。何しに行こうってんでしょ?(笑)
今治といえば、四国で5番目に大きな街。古くから瀬戸内海上交通の要衝として栄え、今では造船やタオル製造で有名な街です。特にタオル生産は、国内の6割を占めるほど。
慶長5(1600)年、築城の名手として名高い藤堂高虎が、関ヶ原の戦いでの功績を認められ、伊予半国20万石を与えられ、伊予板島(現在の宇和島)から移ってきます。移封当初は国分山城という山城に住むんですが、領地を治めるにはどうにも不都合だってんで、今張浦と呼ばれていた浜に、近世城郭と城下町を築きます。それが現在の今治の成り立ち。
高虎は、慶長13(1608)年に伊勢・伊賀国22万石へ領地替えになり、伊勢の津城へ移ります。2代藩主・高吉も寛永12(1635)年に伊勢名張藩に移封され、今治には家康の孫にあたる松平定房が禄高3万石で封入。以後、明治を迎えるまで松平(久松)家が治める事になります。
画像高虎が築いた今治城は、三重に巡らされた堀には海水が引き入れられ、讃岐の高松城や豊後大分の中津城と並んで、日本三大水城の一つに挙げられています。
明治に入っての廃城令で、多くの城郭は壊され、堀も埋め立てられてしまい、現在残っているのは、内堀と本丸・二の丸だけ。
本丸には五層六階の天守閣が建っていますが、これは昭和55(1980)年に再建されたもの。高虎が築いた五層五階の天守閣は、伊勢へ移る時に丹波亀山城に移築されたと伝えられています。但し、これはあくまで伝承である為、真偽の程は定かではなく、本当に高虎の時代から天守閣が存在していたかも不明です。
瀬戸内しまなみ海道が開通したのを契機に、毎日、日没後から夜11時までライトアップされています。
まぁ、中には入れないにせよ、約100個のライトに照らし出される石垣や城郭くらいは見られるだろうと行ってみたんですが……まさか城内まで入れるとは思いませんでしたよ。大手門は時間で閉められてるだろうと思ってたんですが、天守の真下まで行って見られるとは……

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