試験に出ない石川県・富山県

皆さんお忘れかと思いますが。
〝讃岐屋ブログ〟といえば旅ブログなんです。
……ウッソだぁ~!!(笑)
その割にゃ全然別のネタで盛り上がってるし、たまに書く旅ネタだって、旅の楽しさがちっとも伝わって来ないぢゃん。
(↑これがホントの〝真っ赤なウソ〟ってか?)
それに何だ? この「〝水曜どうでしょう〟といえば旅番組なんです」みたいなノリは(笑)
まぁ。
まぁまぁまぁまぁ、それはそれとして。
旅に出るよぉ。


「ふうっ…………っく!」
人目も憚らず、大きく伸びをする。
街もようやくエンジンがかかり出すJR富山駅南口、朝8時半。
天気予報じゃ雨か雪って話だったのに、着いてみると、薄曇りの空に時々晴れ間が覗くほど。ビルの陰から見える立山の峰々は、頂上こそ雲に隠れているものの、朝の陽光に照らされて、雪を被った山肌がくっきりと浮かび上がって見えます。
でも、街中には雪の「ゆ」の字もありません。期待していた雪景色にはお目にかかれず、ちょっぴり興醒め。まぁ、散策しやすいから、それはそれでいいんですけどね。

今回の旅の目的地は、加賀百万石の御膝元にして北陸の古都・金沢。冬の風物詩として詠われる兼六園の雪吊りが見たかったんです。ついでに〝日本三大名園完全制覇計画〟も実行に移そうかと――つっても、今まで行った事があるのは、岡山の後楽園だけなんですけどね。
……は? 金沢が目的地だってのに、なんでオマエは富山にいるのかって?
まぁまぁ、たいした理由じゃないんですよ。
現地での滞在時間を少しでも稼ごうと、大阪から毎度おなじみ深夜バスで移動。その名も『北陸ドリーム大阪号』。大阪を22時10分に出て、金沢に着くのが朝5時15分。終点の富山着が6時25分。朝の5時に放り出されるくらいなら、終点まで乗っちゃえ。運賃も1,000円くらいしか違わないし、6時半なら、お得意のネットカフェで過ごすなり金沢に引き返すなり、まぁどうとでもなるし……とまぁこんな単純な理由です。
……あ、『ドリーム号』ですか? はい。皆様の御想像通り、〝夢〟どころかろくすっぽ寝れませんでした。「途中で目覚めたら後は地獄」のセオリーどおり、コイツも強敵でした――「も」つーか、常に強敵だよね(笑) 勝てた例がありません(爆) 「バスって結構道路状況拾っちゃうのね」なんて再認識したくらいに。

画像駅前の通り(その名も〝城址大通り〟)を県庁・市役所方面に歩いて10分ほど。市街地を流れる松川沿いに、石垣に囲まれた城址公園に出ます。
苔むした石垣と天守閣の白壁というコントラスト。それが御濠の水に映り込んで。
いやぁ~、なかなかいい佇まいじゃないですか。
……ん? この白壁……土壁じゃなくてコンクリートだよね?
よくよく調べてみると、天守閣じゃなく『富山市郷土博物館』という建物。
昭和20年8月2日、終戦間際の大空襲で一面焼け野原となった富山市街ですが、市民の皆さんの努力もあって着々と復興を遂げて行きました。昭和29(1954)年に戦災復興事業完了記念に開催された〝富山産業大博覧会〟の記念パビリオンとして、天守閣を模して建てられたのがこの建物。
ナルホドナルホド。
まぁまぁまぁ、記念事業で戦後に復元された天守閣って、全国あちこちにありますからね――なぁんて思いながら、館内の展示物を見て回ります。入館料210円。
富山城は、天文12(1543)年に時の守護代・神保長職が築きました。が、越後の上杉謙信に幾度となく攻め込まれ、天正4(1576)年、神保氏は遂に謙信によって滅ぼされます。その結果、越中領は越後の領土となります。
天正10年、佐々成政が信長に富山一帯を与えられ入城しますが、信長亡き後、秀吉に反目した成政は、天正13年に秀吉と戦って敗退。一命は助けられたものの、ほぼ全ての領地は没収。越中領は加賀前田家に与えられ、富山城は廃城の憂き目に遭います。
越中富山藩が復活するのは寛永16(1639)年の事。
加賀藩3代目藩主である前田利常の次男・利次が、10万石を譲り受けて分家。加賀藩の支藩となります。富山に入城した利次は、廃城になっていた富山城を修復。以後、明治維新を迎えるまで富山前田氏13代の居城としました。
この修復された富山城に天守閣はなく……
え!? 天守閣はない?
そうなのです。確かに成政の時代には五層の天守が築かれましたが、江戸時代の富山城には天守閣は存在しなかったのです。せいぜいが本丸内に小さな櫓が築かれただけで、代々の城主は本丸御殿に居住していたのです。
結構簡素な城郭だったんですねぇ。それもこれも、後楯に加賀藩百万石が控えてたからなんでしょうかね。
そんな訳で、この天守閣を模した郷土博物館は空想の産物、完全なるパチモンという訳です。
ぐらぁ~ん。
史実もへったくれもないじゃんかよぉ。
まぁ、事実として残っているのは、この場には確かにお城が築かれていて、越中一帯の執政の中心であったという事だけ。どこに何があったというのはわかっているけど、それがどんな建物だったかまでは定かではない、と。
まぁ、度重なる大火で焼失しては再建してたんで、その時々で変わってたらしいですがね。
……はぁ~あ。
何か。
見る価値はあったのかなぁ。

画像城址公園の北東角、二層の櫓が建っています。「お城らしいのはこれくらいか」と思って見てみると、何やら雰囲気が違う。櫓の横にギャラリーっぽい建物が。
佐藤記念美術館。
富山県砺波市出身の実業家で茶人でもあった、故佐藤助九郎氏が中心になって建てられた美術館で、佐藤家所蔵の東洋古美術や加賀藩ゆかりの茶室などを移設・展示。昭和36年の開館ですが、平成14年に建物もろとも富山市に寄贈されました。
入館料は郷土博物館と同じ210円。茶室で受けられるお茶の接待は、菓子付きで500円。
外観は、城址公園の雰囲気を壊さぬよう、城郭造にしてあるんだとか。
……何だい、コッチもパチモンかよ。
富山城ってのはパチモンの寄せ集めかい?――と思っていたら、現在、千歳御門(正式には「埋(うずみ)門」)が移築工事の真最中でした。
これは10代藩主・前田利保公の隠居所として本丸の東、東出丸にあった千歳御殿の正門として建てられていたもので、明治期に払い下げられた民家から寄贈を受け、元の場所に130年ぶりに再移築されるものらしいです。富山城の現存する唯一の遺構だそうで。
どうやらこれだけは本物のようですが、無粋な工事用シートとネットのおかげで、その全貌を見る事は出来ませんでした。

画像城址大通りを駅方面に若干引き返し、富山市役所に向かいます。
いや、別に住民票移そうとかってんじゃないですよ。ここの市役所ってのが、およそ市役所然としてない建物でして。表向きはタイル張りの普通の庁舎なんですが、脇に回ると全面ガラス張り。一見するとコンサートホールかウルトラマンに出てくる科学特捜隊本部みたい。おまけに高さ70mの展望タワーがピョコンと飛び出してるんです。
作業着やスーツ姿の人たちに紛れて、エレベーターで最上階まで。「オマエはこんなトコで遊んでていいのか?」という、何だか妙な気分になります。
最上階の展望フロアは……まぁ……ごく普通の展望フロアですよ。富山市街を360度ぐるりと見渡せ、鈍く光る日本海や遠くに白く輝く立山連峰を望めます。
立山方面を望む側には、双眼鏡が設えてあります。よくデパートの屋上なんかにある、100円入れると何分間か覘けるというアレです。さすがにお金はかかりませんが、手前にあるハンドルを何回か回すと(確か30回以上だったと)案内アナウンスが流れる仕組みです。コレがまたスグレ物で、見たい方向に向けると、それに合わせたアナウンスが流れるんです。GPSか何か積んでるんかな。
立山の山頂部はやはり雲の中でした。きっとあの雲の下では伝説の嵐が吹き荒れている事でしょう(笑)
ちょっと面白い、知らないとおそらく通り過ぎてしまうだろう観光スポットをひとつ紹介しましたよぉ。


つーか、行きたいのは金沢なのに、なんでアタシゃ富山をクローズアップしてんでしょ(笑)

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