夕陽を追いかけて~神々おわしますところの地

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北海道神宮でございます。
(ブッブーッ!)
三吉神社でございます。
(ブッブッブーッ!!)
出雲大社でぇ~ございますっ!!
(どどんっ!!!)
……え~、往年の名作『サイコロ4』をフィーチャリングしてみました。いかがですか?


八百萬の神集うところの出雲大社(一般的には「いずもたいしゃ」と読まれますが、「いずもおおやしろ」と読むのが正しいそうです)には、主祭神として大国主命(オオクニヌシノミコト)が祀られています。
『古事記』や『日本書紀』に記された神話によれば。
苦労して出雲一帯に国を築いた大国主命の下に、天界(高天原)から「国を天照大神(アマテラスオオミカミ)に差し出すように」と遣いがやって来ます。大国主命は「国を差し上げる代わりに、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい」と願い出ます。アマテラスは、その願いを聞き入れ、天にも届かんばかりの大きな社を建てました。
こうして建てられたのが、この出雲大社だと伝えられています。
――何が言いたいのかというと。
数多ある神社が、その土地神を鎮める為に建てられたのに対し、出雲大社は国家事業として建てられたのだ。だから、その格は自ずと違ってくるのだ。出雲大社は別格なのだ――と言いたい訳ですよ。日本神話は。
では、その〝天孫が築き上げた神殿〟とはどういうものだったのでしょうか?
画像平安時代に記された『口遊(くちずさみ)』という本には、「雲太 和二 京三」と書かれています。
……別に人の名前じゃないですよ? 雲太さんがどうとか、長塚京三さんがこうしたとか(笑)そんなんじゃないです。
これは、背の高い建物の順を謳った数え歌だったようです。「雲太 和二 京三」とは「出雲太郎 大和二郎 京三郎」の略で(やっぱり人名に聞こえる……)、第一に出雲大社本殿、第二に大和東大寺の大仏殿、第三に平安京大極殿。
平安時代の東大寺大仏殿は今より背が高く、15丈(約45m)あったと伝えられていますから、古代の出雲大社本殿は、それより高かった事になります。文献によれば16丈(約48m)にも達したといわれ、そこから延びる階段は1町(約109m)あったと伝えられています。
わずか9本の柱(そうは云っても、杉の柱を3本束ねて、太さ3mもある1本の柱としていたそうですが)に支えられた超高層神殿。そんな華奢な構造の建築物が、よくも倒れずにいたものだ――と思っていたら、案の定、幾度となく倒れていたそうです。過去の文献に残っているだけでも、平安中期から鎌倉初期までの200年間で7回は倒れています。
……そりゃあ倒れるって(笑) 台風なんか襲って来ようものなら一発じゃん。でも、200年で7回って案外丈夫だわ。
で、「神様の御社が、そう度々倒れたとあっちゃ縁起でもないし、神様にも申し訳が立たない」ってんで、徐々に低くして行き(笑)、今の高さに落ち着いたのが鎌倉時代末期。それでも高さ8丈(約24m)。
そんな超高層神殿、いくら文献に記されているとはいえ夢物語。それこそ、神話の類だろう――と思われてきたところへ、平成11(1999)年の発掘調査で、この巨大柱の根本部分が出土しました。その後の調査で、平安末期から鎌倉初期に造営されたものと推定されました。超高層神殿が、俄然現実味を帯びてきたという訳です。

現在建てられている本殿は、延享元(1744)年に造営されたものです。260年余りを経て、かなり傷みもみられる事から、昭和28年以来の大修繕工事が行なわれる事になりました。
まずは現在の拝殿を仮住まいとして神様にお遷りいただく〝仮殿遷座祭〟が来年4月に行なわれます。
その間の仮となる拝殿の建設が、現在の拝殿脇で急ピッチで進んでいました。
本殿の改修や屋根の葺き替えが終わるのが平成25年。5月頃には仮殿から本殿へお遷りいただく〝本殿遷座祭〟が行なわれる予定になっています。
この『平成の大遷宮』は、平成28年までの8年にわたって行なわれます。ゆっくり参拝したい方は、今のうちか8年後を待ってお参りされた方がいいかと。

画像拝殿は、大社造と切妻造の折衷様式となっていて、昭和34年に再建されたもの。以前のものは不慮の火災で燃えてしまったんだとか。
大きな注連縄が目を惹きます。
参拝や祈祷、祭礼など数々の神事は、この拝殿で行なわれますが、ここはあくまで〝拝む〟場所。神様は、この後ろに建つ本殿におられます。
拝殿と本殿、ずいぶんと隔たりがあるんですよね。
瑞垣と呼ばれる回廊の中に、本殿と大国主命の妻・須勢理比売命(スセリヒメノミコト)などを祀った五つの御社があります。大国主命を祀った本殿は、さらに玉垣と呼ばれる垣根に囲まれています。
瑞垣の正面には八足門(やつあしもん)という門があり、普段はここから参拝する訳ですが、正月の5日間だけは、玉垣の門である楼門の前まで入る事が出来るそうです。
この八足門には蛙股の瑞獣(霊獣)や流水紋の彫刻が施されています。これは、あの『日光東照宮の眠り猫』で有名な左甚五郎の作と伝えられていますが、真偽の程は定かではありません。

画像瑞垣の東西両側には、十九社と呼ばれる長屋風の社があります。
毎年10月、全国八百萬の神様が出雲大社に集う――よって全国では〝神無月〟と云い、出雲地方では〝神在月〟と呼ぶ――という話は有名ですが、その時に神様のお宿になる御社がこの東西十九社です。
まさに『ホテル出雲大社』『ロイトン出雲大社』であります(笑)
ん~……〝お宿〟ってより〝合宿所〟って感じですねぇ~。
(一説では、出雲に集うのは地の神であって、天照系の天の神は加わらないんだとか)

境内の一角に、神祜殿という建物があります。1階は祈祷の受付所 兼 参拝者の休憩所になっており、2階は宝物殿になっています。
宝物殿には、古代から現代に至るまで、出雲大社にまつわる数々の品物が展示されています。
鎌倉幕府打倒を計画した罪で、流罪となった隠岐から脱出した後醍醐天皇が、再び倒幕を目指して挙兵した事で、戦勝祈願をするようにと送った勅旨。
もうここにしか残されていないという足利第6代将軍義教の鎧。
淀君と豊臣秀頼が豊臣家繁栄を祈願して奉納した秀吉の刀と鰐口(社殿に吊るし、銅鑼のように叩き鳴らすもの)。
他にも、歴史上から見ても貴重な品々が数多く展示されています。そのほとんどが奉納品であったり、神事にまつわる品々であることは、これは致し方ないでしょう。
さて、後醍醐天皇の願いは成就し〝建武の新政〟を始めますが、足利尊氏の離反により、わずか2年半で瓦解します。秀頼の豊臣家繁栄の願いは、大阪の陣で徳川家康に敗れ、遂には滅亡してしまいます。
思うに、国の安定を願う大国主命を祭神と祀る出雲大社ですから、いくら皇族に近しいとはいえ、争い事にはあまり力を発揮しなかったのでは、と。なにせ〝縁結びの神様〟ですからね。縁断ちにもつながる争いに、自ら加担する事はないでしょう。


さて、宝物殿の拝観を終え、階下に下りてくると、外はどしゃ降りの雨です。
宝物殿に入る時は晴れ間も見えましたし、中にいた時間といっても、ほんの10分か20分くらいのもんです。
それがどうでしょう。
〝バケツをひっくり返したような雨〟とは、よく聞く表現ですが、バケツを通り越してドラム缶でもひっくり返したような雨。集中豪雨とは、まさにこの時の為にある――てなもんです。
まぁ、通り雨だろうとは思うんですが、雨が止むか小降りになるまで、神主学校の生徒さんらと一緒に『昭和天皇の御生涯』なんてビデオを見ながら待ちます。
だって、他にどうしろってさ。
小一時間も足止めされたでしょうか。さっきまでの豪雨が、まるで嘘のようにビタッと止みました。縁結びの神様だけに〝狐の嫁入り〟も盛大です――って、何だ? 集団結婚式か?
雨は上がったものの、空はすっかり曇ってしまいました。時々、雲の合間から青空が覗くんですが、すぐに厚い雲に覆われてしまいます。

これは……肝心の夕陽は拝めそうにないかなぁ……
松江に来て、2日も費やして……はぁ……

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