山形城址 霞城公園

画像駅へ戻る道すがら、山形市民の憩いの場・霞城公園へ立ち寄りました。
玄関口である東大手門をくぐった広場には、出羽国山形藩57万石の領主・最上義光公の騎馬像があります。
最上家は清和源氏~足利氏の流れを汲み、11代当主である義光公は、かの〝独眼龍〟伊達政宗の伯父(実母の兄)にあたります。
天下分け目の関ヶ原。この戦いに乗じて、東軍に組みした山形藩に、西軍側に付いた上杉勢が攻め込みます。上杉方2万5千に対し最上方3千という大差でありながら、義光公率いる最上軍は勇猛果敢に戦い、これを撃退。過去に上杉方に奪われた庄内地方を奪還したと伝えられます。
(上杉敗退の因は、最上軍の強さもさりながら、関ヶ原で西軍が敗れた為に戦意喪失したからとも云われてますが)
騎馬像は、この長谷堂合戦の折、先陣を切って決戦の場へ向かって行く勇姿を象ったものです。
江戸城をも凌ぐ広さを誇った山形城(霞城)も、当時の城郭は、今はひとつも現存していません。
三の丸はほとんど姿を消し、残る二の丸跡も、一部が県体育館や武道場・県営球場などの運動公園となり、当時の面影は石垣を残すばかりとなりました。
唯一、平成3年に復元された二の丸東大手門が、往年の栄華を知る糧となっています。
栄枯盛衰、兵どもが夢の跡。

本丸跡では、一文字門の石垣復元工事が始まっていました。一文字門は、本丸大手門に当たります。
平成10年から進められてきた復元工事で、均整の取れた石垣や堀を渡る橋脚など、当時の面影が朧気ながらわかってきました。それでも、全体像が明らかになるのはもう少し先のようです。
掛けられた工事用のブルーシートが、いささか興醒めでしたね。


画像霞城公園の一角に、三層楼16角形が特徴の洋館が建っています。
明治11年(1878年)、初代県令(今でいう県知事)三島通庸の命により建てられた、県立病院『済世館』の本館です。
今は山形市郷土館として公開され、郷土史資料の他に医学医療関係の資料――とりわけ、明治13年(1880)から約2年間在住し、山形市の医学の発展に大きな功績を残したオーストリアの医師アルブレヒト・ローレツ博士の資料が展示されています。




さぁ、日もだいぶ傾いてきました。
急ぎ山形駅へ戻る事にしましょう。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 山形城(霞城公園)

    Excerpt: 第11代当主、最上義光が増築した平城 ▲山形城、地元では霞城(かじょう)公園と呼ばれています ・場所:山形市霞城町 ・行き方:山形駅から徒歩で約10分 ・桜開花日:4月�... Weblog: 山形旅行 - 観光、温泉、名所、宿泊 racked: 2007-10-08 08:06