紀州路のらり旅 ―武蔵坊は紀州の生まれ―

旅に出るから、青春18きっぷを買うのか。
青春18きっぷを買ったから、旅に出るのか。
ニワトリが先か、卵が先か。思案のしどころ。
「さ」にござります。


え~、お察しのとおりです(笑) ものの見事に余っております、青春18きっぷ。
一応、計画は立ててたんですけど……勤務シフトの変更で、すっぽ~んと飛んでしまいました。
仕方なく計画の練り直し。何処へ行きましょうか。
当初の予定は北陸・能登。富山湾の蜃気楼(辛気郎ぢゃないよ、ヤスケン)をこの目で見たいってのもあるし、立山も魅力あるし。
天橋立から三方五湖を巡る旅。松島には仙台在住時に何度か行ってるし、安芸の宮島にはついこの間行ったばかりだから、ここで天橋立へ行って「日本三景完全制覇の旅」を完結させるか。
でもなぁ……どれも誰かさんがつい最近行ったばっかりの場所だし、二番煎じどころか五番十番ぐらいに甘んじてしまうのはねぇ~。どんな記事書いたって、絶対かなわないしなぁ~。きっと薄っぺら~い記事になっちゃうだろうし。
ん~……どぉ~しよぉ~かぁ~……結論!
和歌山でラーメン食って、南紀白浜で温泉三昧!――て、あれこれ考えてたのと全然脈絡ないやん!


18きっぷの使用期限も押し迫った8月31日、高松00:30発のジャンボフェリーで一路神戸へ。
急ぐ旅じゃないんで、始発のマリンライナー(04:38発)でもよかったんですけどね、いかんせん起きられない(笑) よしんば起きられたとしても、そんな早朝じゃ高松駅まで向かう足がない。タクシーだって予約ナシじゃ断られる可能性もある。だったら夜行便のフェリーに乗って、3時間半ゆっくり寝てきゃいいじゃないか、とまぁそういった次第でして。
フェリーが神戸港に着くのが04:10。そこからシャトルバスで(200円も取りやんの。高松側は無料なのにね)三ノ宮駅前に着くのが04:30。コンビニであれやこれや買ってたら、ボチボチ始発電車が動き出す時間。
う~ん……便利いいかも。関西圏へのいい足になりつつありますなぁ。これからもバシバシ使っちゃろうかしら?

05:07 神戸三ノ宮発の京都行き始発で大阪へ。大阪から、06:11発の紀州路・関空快速で和歌山へ向かいます。2+1人掛けという珍しい配列のシート。
この紀州路・関空快速、その名のとおり前5両が関西空港行き、後ろ3両が和歌山行きで、日根野で分離します。だから、うっかり関空行き車両に乗っちゃうと、気が付いたら「ボク、どこ行くの?」な人になります。大木こだま師匠よろしく「そんなヤツおれへんやろ。チッチキチー」とか思ってたら……いました(笑) 日根野で慌てて隣車両に移ってく人が。逆パターンですね。
和歌山までの車窓風景といっても、よくある都会の街並が続くばかりで、唯一、天王寺で見える通天閣が目を惹くくらいですかね。
あと、心配なのは空模様。台風12号は逸れたものの、刺激された秋雨前線が迫ってきています。まだ今は薄っすら雲がかかる程度ですが、このまま最後まで持ってくれるんでしょうか。
それよりも感心するのが車内風景。神戸から大阪までの電車もそうでしたが、こんな早朝だというのに満席ですよ。スゴイですねぇ、日本人って――なんて自分の事は棚に上げて。
紀ノ川を渡ると、間もなく和歌山到着です。

07:51発の紀伊田辺行きに乗り継ぐには、10分少々あります。この隙に朝食用の駅弁を購入しようと思ったのですが……やってない! まだ開店準備中です。一応尋ねてみると「いいですよぉ」との返事。おばちゃん、ありがとぉ。
で、購入したのが、こちら『鯛ちらし寿司』であります。
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「紀州名物」と謳われちゃあ、買わない訳にいかないでしょう(笑)
〝ちらし寿司〟とありますけど、それほど酢飯酢飯した酸っぱさじゃありません。本当にちょうどいい塩加減。メインの鯛の味を引き立てます。
そのメインの鯛、コリッコリしてて、とっても美味。2切れってのはチョット物足りない気もしますが、それがまたいいのかもしれません。
錦糸玉子とおぼろの上に散らばる海老・穴子・椎茸・蓮根。箸休め・口直しの栗甘露煮と刻み生姜。
でも、ここにチェリーはちょっと許せない(笑) チェリーは余計だったかなぁ~。
全体にとっても上品なお味です。これで850円はお買い得!
僕は、一応ギリギリ間に合いましたけど、もし買えなかった時は、改札の向かいにコンビニがありますので、そちらで普通にコンビニ弁当をお買い求め下さい。
(ひでぇ……)

紀伊半島を海岸沿いにぐるり、和歌山から亀山までを結ぶ紀勢本線のうち、特に和歌山-新宮間には〝きのくに線〟という愛称が付いています。
冷水浦を出ると、右手に海が見えてきます。コンビナート越しに見える太平洋の青い海。車内のあちこちから「うわぁ~」と歓声が上がります――が、すぐさまトンネルに。トンネル抜けたら内陸。海なんか影も形も見えません。初島辺りから「○○海水浴場」の文字が現れますが、なんか空々しい。「広川ビーチ」なんてエラい直接的な名前の駅もありますが、その肝心のビーチは遥か向こう。10㎞は離れてるでしょうか、歩いて行くには随分と遠いような。
……殴っちゃっか。

09:36 紀伊田辺着。
白浜行きの鈍行が出るまで1時間以上空いてます――空き過ぎだって……
特急に乗り継ぐか、バスで白浜へ向かうテもあるんですが、ここはこの空いた時間を利用してぶらぶら観光をば。
画像駅前には、武蔵坊弁慶の銅像がドデンと待ち構えています。聞けばこの田辺の町は、弁慶の生まれた町なんだそうです。
へ~え、知らなかった。〝武蔵坊〟ってくらいだから、埼玉辺りの出身かと思ってた……て、あの時代に武蔵野から京都に出てくるのは、それはそれで命がけですわな。
弁慶は、熊野別当・湛増の子なんだそうです。ナルホド、それで熊野水軍が義経に味方したんだ。さすが親子――と思ったら、話はそう簡単ではなかったようです。
この話に謂れがある闘鶏神社というのが、駅から程近い場所にあります。駅前本通を真っ直ぐ、「二宮」という和菓子屋(ん? どっかで聞いた名だぞ。まぁラフに参りましょう)に面した交差点を左に折れ、その突き当たりにあります。
元々は伊邪奈美命を祀る土地の守り神だったのですが、水軍が活躍する頃から安芸厳島神社の主神・市杵島媛命も祀るようになりました。
水軍というと、どうしても海賊のイメージがありますが、実際の仕事は海運船の護衛であったり、難所の水先案内人であったりしたようで、船を襲う事は滅多になかったようです。ただ、その近辺の海の知識(地形とか潮の流れとか)に長けており、統率された戦闘力を誇っていた為、付近を通行する船からは畏れられていたようです。
で、熊野水軍のその類稀なる戦闘力を是非自軍に引き込もうと、源氏・平家両軍からの勧誘は熾烈を極め、それでも熊野水軍は中立の立場を保持していたと聞きます。
画像義経の命を受けた弁慶、父である湛増に増援を懇願しますが、いかな親子とて素直に首を縦に振りませんでした。が、その熱意に「すべては神事に任せる」として、神前にて紅白各7羽(紅は平家、白は源氏ですね)の鶏を闘わせ、勝った方に味方すると決めました。結果は……白が勝った事で義経に味方、屋島の合戦で大勝利をもたらした原動力となりました。
その故事に倣い、神社の名前も〝闘鶏神社〟と改められ、今では賭け事の神様として崇められてるとか。
ん~……これで紅い鶏が勝ってたら、歴史は変わってたんでしょうかね。〝弁慶vs湛増・涙の親子対決〟なんて事もあり得たかもしれませんね。
闘鶏神社のすぐ向かいに小さな祠があります。名前すらありません。ですが、ここが弁慶誕生の地らしく、その旨を記した石碑が建っていました。

紀伊田辺が生んだ有名人の一人に、博物学者にして民俗学者の南方熊楠がいます。名前のイメージからして、九州の(それも熊本か鹿児島辺りの)出身かと思ってました。認識不足ですな。
宗教学者でもあった熊楠、宗教とは離れた自然保護の立場から、時の政府による神社合祀政策に異議を唱え、反対運動を起こして、熊野神社一帯の保護を訴えました。この熊楠の行動がなかったら、熊野神社の世界遺産登録なんかなかったかもしれませんね。
そんな熊楠の偉業と、研究の成果を紹介してるのが、南方熊楠顕彰館です。入館無料。
闘鶏神社からは、駅前本通をはさんで反対側の道を突き当たり、少し海側に入った場所にあります。
熊楠の研究といえば、粘菌(変形菌)に代表される菌類の研究が非常に有名です。カビや苔・キノコに関する研究資料は、それはもう詳細にして鮮明で、美しいとさえ思えてくるのです。
そんな熊楠の雰囲気を少しだけ味わえる空間が、顕彰館2階の閲覧室です。ここでは、熊楠が残した数々の資料をパソコンで検索できる他(本物の資料は、保護の見地からすべてデジタル画像処理されているのです)、顕微鏡が1台備え付けられており、熊楠がライフワークとした粘菌の標本を見る事ができます。
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備えつけの顕微鏡越しに撮ったんで、ボケボケではありますが。
左のエノキダケみたいなのが「クモノスホコリ」。名前のとおりクモノス状に胞子の一つ一つが結ばれています。
右の白くて丸いのが「ヒメマンジュウホコリ」。確かに饅頭に見えなくもない。
ホコリって、それぞれ名前が付いてたんだね。綿ボコリとか、そんなのしか知らなかったよ。
……は? ホコリ違い? ホコリのように小さく細かいものだから、そういう名前を付けた?
……んもォ、最初に云ってヨ。恥かいちゃったじゃない(苦笑)
それにしても――いやぁ~、ミクロの世界は綺麗だぁね。こらぁ熊楠じゃなくとも夢中になるわさ。
顕彰館の隣地には、熊楠の旧宅が、その大きな庭とともに保存されています。熊楠邸見学には、観覧料300円がかかります(顕彰館受付で観覧券が発売されてます)。
画像昔ながらの木造2階建ての母屋。同じく2階建て黒塗壁の土蔵を書庫として使い、前の借家敷地に建てた書斎をわざわざ移築し、そこで粘菌の研究に没頭したといわれています。
庭には大きな楠の木があり、自分の名前の中に「楠」の一字があるのも手伝って、大層な愛着を抱いていたそうです。
その向こうには、新種の粘菌「ミナカテラ・ロンギフィラ」(発表・命名は熊楠ではなく、英の研究家リスター)を発見するきっかけとなった柿の木が生えています。粘菌は、腐朽した木に付いて生育するものとされてきましたが、熊楠はこの柿の木のくぼみで生育する粘菌を発見。その新種の粘菌とともに〝粘菌には生きた木に付くものもある〟事を発見しました。その発見した木、発見したくぼみは、現在もそこに在り続けています。
そんな熊楠邸ですが、見られるのは外からで、中に上がって見る事は出来ません。土蔵の中も、開かれた扉の外から覗く程度です。
なんだ、そんなもんか。こらぁ300円も出して見る価値あるかい? 損したような、得したような……

弁慶・熊楠に、合気道の創始者である植芝盛平を加えて、〝田辺の三傑〟と呼ぶそうです。
盛平は、ちょうど紀伊田辺駅が建つ場所で生を享けたそうで、駅前には生誕地の石碑が建っています。
ふ~ん――つか、植芝盛平って誰?
(だから、合気道の創始者って云ってんでしょ!)
興味ないものには、トコトン興味が沸かないのね、人間って(笑)

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