尾張徳川家の栄華

画像JR中央本線に乗りまして、途中の鶴舞で降りたくなる衝動をぐっと堪えて(笑)、その二つ先――名古屋から5つ目の大曽根駅下車。新駅舎工事中の南口から出まして(北口や近鉄・地下鉄で来ると、少し遠回りです。といっても、ほんの数百mですけどね)、広い4車線の通りを左に折れて歩く事、約10分。
かつて尾張藩主の別邸があった徳川園の一角に、徳川家二十代の栄耀栄華を一手に集めた、徳川美術館があります。
すごいッスねぇ。町名まで「東区徳川町」(笑)

徳川美術館は、本館・常設展示室、昭和10年開館当時の姿をそのままに残す企画展示室、文書関係を所蔵する蓬左文庫の3棟から成ります。
画像展示室へ入ってすぐ、9代藩主徳川宗睦の子・治行が着用したと伝えられる甲冑が目を惹きます。
金箔置紅糸威具足と云うそうです。
「威」という字を使っていますが、「お通し」というのが本当だそうです。つまり〝紅糸威〟というのは甲冑の部品を紅色の糸を通して繋いでいるという意味で、「威」という字を用いたのは、武具という性質上、その言葉にも「武」につながる文字を使うのだ――と学芸員の方が説明しているのを又聞きしました。
ふ~ん。
他にも、この武具刀剣コーナーには、5連装式の火縄短銃なんてのも展示してあります。連装式といっても連発式ではなく、一発撃つ毎に手で銃身を回す形式です。実際の戦に使われたというより、護身用とか装飾用とかの目的で作られたようです。
文武両道。「武」の次は「文」です。
続くコーナーでは、武士として――特に上に立つものとして身に付けるべき素養として、茶道・室礼・能楽について展示しています。それぞれ名古屋城二之丸御殿にあった「猿面茶室」「鎖の間・広間」「能舞台」が原寸大で復元されています。
次のコーナーでは、大名の絢爛豪華な奥道具が展示されています。
質素倹約を、武家だけじゃなく庶民にも強いた8代将軍・吉宗に対し、尾張7代藩主・宗春は「民の繁栄なくして、何の国の繁栄か」と、領内での商工業の奨励と、民衆の自由闊達な暮らしを許可したという話です。
質素倹約くそくらえ!という訳です。
してみると、吉宗と宗春のどちらが民衆にとって良い殿様だったか、という事ですね。時代劇『暴れん坊将軍』の中では、中尾彬扮する尾張宗春は、随分と悪役に描かれてましたけどね。幕府にとっては、将軍自ら指揮を執る改革に逆らう憎き存在ながら、徳川御三家で一番力を持つ尾張家当主だけに、迂闊に手を下せない厄介者と映ったんでしょうね。

これより先は、蓬左文庫展示室に移ります。藩主として学ぶべき「論語」や「大学」などの学問、西洋の知識の他、「藩主たるもの、民の暮らしを知らずして良政は執れず」と、数々の文献や屏風絵などを通じて庶民の生活を知ろうとしていたようです。『暴れん坊将軍』のような〝身分を隠して市井へ〟なんてのは、ドラマの中だけの絵空事。実際は、この辺りが関の山だったようです。
殿方が孔子・孟子なら、奥方・姫御は源氏物語です。国宝「源氏物語絵巻」十二帖が展示されています。これは……美術品として蒐集されたんでしょうかね。
城内の女性たちは、源氏物語をどのようにとらえてたんでしょう。文学として? 娯楽として? 官能小説として?

特別展は、正月ということもあってか、数ある家宝の中から吉祥に関係する物が展示されてました。題して「めでたづくし」。
鶴亀や長寿の証である松をあしらった物、出世の象徴・鯉の滝登りなどなど、絵画・陶磁器から小間物に至るまで、非常に御目出度い品々が数々展示されてます。その作者も、狩野探幽・円山応挙など一流どころばかり。(そら、そうだよねぇ)
これだけの品々が、よくぞ残っていてくれたという思いです。何せ、明治を迎えてから、あの名古屋城の金鯱すら「無用の物」として処分したくらいですから。
画像
当然のごとく館内は撮影禁止ですが、ロビーとショップ前は許可されています――といっても、写せる物は、葵の御紋も鮮やかな、この灯篭くらいしかないんですけど(笑)
徳川御三家筆頭62万石の大大名、尾張徳川家の一万数千点に及ぶ家宝、たっぷり堪能して参りました。
観覧料1,200円は「どうなんだ?」と思うところですが、種類の豊富さ、質の高さ、保存状態の良さは「さすが!」であります。
興味のあるなしにかかわらず、「見ておいて損はない」とだけ申し上げておきます。

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