南四国・のらり旅 ―第1夜―

後免で再びJRに乗り換えまして、15時16分、高知に着きました。
う~ん……ヤラレてますなぁ。空振ってますなぁ。
実りがあったのって、土佐くろしお鉄道の〝漫画列車〟だけかい?
それって、あまりにあんまりじゃないかい?
……いかんいかん、気を取り直してまいりましょう!

駅からてくてく歩きまして、はりまや橋まで来ました。この近辺・帯屋町一帯が、高知の繁華街です。
初めて高知に来た時には(もう十数年前になりますか)、はりまや橋といっても、皆さんが思い浮かべるあの赤い欄干が歩道のガードレールみたいにあるだけで、川も何も流れてませんでした。それが今では親水公園として整備され、そこに橋が架かってます。但し、架かってるのは例の赤い橋ではなく、昭和25年に架けられたものを忠実に再現した石造りの橋です。
赤い太鼓橋はそのすぐ西隣、親水公園に架けられています。江戸期のものを再現したのだそうです。坊さんがかんざし買いに走ったのも(笑)この橋が架かっていた頃の話です。
地下道をくぐった反対側――東隣には、明治期に架けられた鉄製の橋が架かります。
つまり、路面電車も通る道路を挟んで、江戸から昭和にかけての三代の橋がご覧いただける訳です。皆さんがはりまや橋と聞いて、あの赤い橋を連想されるのは、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」という歌と、それが映画化された時にスクリーンに映っていた橋の印象が強いからです。
「はりまや橋」って、実は赤いばかりではなかったんですよぉ。

はりまや橋から伊野方面に向かう路面電車に乗って、上町というところで降ります。
この界隈はあの坂本龍馬が生まれた街で、坂本家本家が営んでいた才谷屋があった場所でもあります。電車通り沿いには龍馬生家跡の石碑も建っています。
そのすぐ裏路地を行きますと、『龍馬の生まれたまち記念館』というのが建っています。昨年出来たばかりの建物で、誕生から土佐藩脱藩までを、この上町という界隈の移り変わりと絡めて紹介しています。
写真で見る限り、奥の建物は柱や梁が剥き出しですが……あの……建築途中という訳じゃありませんよ(笑) こういう造りなんです。
脱藩後、亀山社中・海援隊を結成し、幕末の日本に大きな影響を与え、明治維新を前に凶刃に斃れるまでの事は、桂浜の『坂本龍馬記念館』で詳しく紹介されていますから、こちらと併せてどうぞ。
……まぁ、幕末とか坂本龍馬とかにまったく興味のない人には、退屈な場所かもしれませんね。

画像
ど~ぉだぁ~! これが皿鉢料理だぁ~っ!!
〝土佐といえばカツオ〟ってくらいだから、刺身だタタキだなんてのを軸に、煮物・焼物・刺身・天婦羅・押し鮨などなどを、大皿に一気に盛り付ける土佐料理の代表格です。時にはコイツのド真ん中に兜焼きや活け作りなんてのがドデンと居座ったりする事も。
一つ一つ盛り分けて――なんてチマチマした事はしない、土佐人らしい豪快さでしょ。
……懐具合も豪快ですけど (^o^;)

でも。食べられませんでした。
一人前ってのがないんですと。
見ての通りのいわゆる宴会料理ですから、大人数の料理(これで3~4人前)をどぉ~んと盛り付けて、それを皆でつつき合っては、大酒をかっ喰らい、夜が明けるまで飲めや歌えやのドンチャン騒ぎですよ。まぁ、店によっては小型版の「ミニ皿鉢」なんてのもありますが、それでも二人前以上からの注文。一人分のチマチマしたものなんか、土佐っ子の血が許さないってんでしょうね。
悔しいから店先のサンプルだけ写真に撮って、自分は鰹のタタキをヤケ食いです。ついでに鯨も持って来ぉ~い!!――あぁ、もったいない(笑)
……旨かったから許す! 追加までしちゃったから許す!(爆)


まぁまぁまぁ。旅の1日目はこんな感じでしたよ。
野良時計のショーゲキは、鰹と鯨でリカバーできました。
……そぉかぁ?
さてさて、今日の予定は……おい、見所って四万十川だけかい!? 他にも何かあるだろう! 
探しなさいよ。貪欲に何にでも喰らいついて行きなさいよ。じぇないと、たぁ~だ列車移動だけで一日終わっちゃうよ。
晴れてるのが救いだね。風は吹いてそうだけど。

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