昭和に出逢う旅 ―宇和―

宇和島を8時32分発の特急宇和海6号で出まして、およそ20分。宇和島藩唯一の宿場町として栄えた宇和へと向かいます。今日はその後、大洲・内子と巡る予定です。〝のらり旅〟と呼ぶにはちょっと忙しない、駆け足気味の旅になります。
詰め込み過ぎたかなぁ。
今日は四国フリーきっぷの本領発揮。特急を乗り継ぎ乗り継ぎで参ります。
この2日間晴れてた空は、ここへきて曇りました。たまに雨もパラつきます。ちょっと肌寒いです。「曇りのち晴れ」の天気予報を信じて、午後に期待しましょう。

画像宇和の玄関口は、JR卯之町駅です。町のイメージを尊重してか、明治風の建物になっています。
駅からまっすぐに歩いて6分。商店街を横切った細い路地辺りから、かつての宿場町の街並が見えてきます。居並ぶ白壁と格子戸の家々。そこはかとなく漂う江戸の香り。
その左手、臨済宗光教寺へ至る境内の途中に、明治15年築の小学校舎〝開明学校〟が建ってます。白壁にアーチ型の窓といった和洋折衷を絵に描いた風貌。よくよく見ると、卯之町駅の駅舎そっくり。そうです。卯之町駅の駅舎は、この開明学校を模して建てられたものなんです。
正面右手には、開明学校の前身となる私塾・申義堂が建っています。こちらは明治2年に建てられた純和風の建物。著名人・町の有力者が私財を投げ打って開いたのではなく、向学心に燃えた町民が自発的に建てたものだというから驚きです。シーボルトの娘・イネや江戸・明治を代表する蘭学者・高野長英らを育んだ街だというのも頷けます。
校舎内には、江戸期から太平洋戦争終結に至るまでの、貴重な教育資料が展示されています。当時の教科書や先生の当直日誌、収支報告など細部にわたって書かれた学校経営資料などなど。中でも、教科書の補助教材として活躍した、明治初期の掛図収蔵数は全国一だそうです。多少の破れや日焼けはあるものの、今も色鮮やかに描かれる動植物の絵は、見事としか言いようがありません。「そうそう。小学校に入りたての頃、こんなので勉強したよなぁ」と、懐かしさが込み上げてくる逸品揃いです。
開明学校の反対側には、民具館があります。
宇和地方のみならず、南予全域の人々の暮らしであったり、祭であったり、伝統行事であったりが紹介されています。
「あぁ、こんなの爺ちゃん家にあった」「こんなの婆ちゃん使ってた」なんてのが展示されてます。してみると、子供の頃、何気に目にしていた物使っていた物が、今では民具になってしまうんですね。普通に使っていたガス炊飯器や足踏み式ミシン、真空管ラジオなんかは、今じゃ立派な歴史資料ですよ。そのうち、今使っているテレビやパソコンなども、そうなって行くんでしょうね。ワープロや16ビットマシンは、立派な歴史資料ですよ。
ベータのビデオデッキも歴史資料? 失礼な! ウチじゃまだまだ現役バリバリですよ!!

画像昔ながらの街並の突き当たり、先哲記念館を左に折れて、小高い山を10分ほど登って行くと、その中腹に愛媛県歴史文化博物館があります。
小高い山を10分ほど……10分でもしんどいです。素直に駅からバスかタクシーを利用した方がいいでしょう。
歴史博物館ですから、当然、船頭気分か?先土器文化の時代から順に辿って行く訳です。狩猟生活から稲作へと変化を遂げる弥生時代、藤原純友の乱に始まる律令制の崩壊、武士の台頭、村上水軍を軸とする伊予水軍の活躍、長曽我部一族や秀吉による四国平定、徳川幕藩体制などなど。それらを4ブロックに分け、膨大な資料とともに紹介して行く訳ですが、僕が興味あるのはそこじゃない。すべて抜けた最後のブロック――
出たぁ! 坊ちゃん電車やぁ!!
実際に松山市内を走っていた路面電車が展示され、順路沿いには、昭和初期の松山大街道の街並が再現されているのです。薬屋あり、写真館あり、大衆食堂あり。写真のような駄菓子屋で友達と日が暮れるまで遊んでた子供の頃を思い出しましたよ――もうちょっと近代的だったかな?
先へ進むと、昭和30~40年代の一般家庭風景が再現されてます。家庭にテレビや冷蔵庫が普及し始めた頃で、「○○ちゃん家、こんな感じだったよな」と思うようなジオラマ。昔懐かしい車なんかも置いてあります。
時間さえ許せば、このまま何時間でもいたいような気分。
今はっきりわかりました。僕を明治村とかに連れてかないで下さい。多分、開館から閉館まで居続けます。テコでも動きません。何なら、そのまま泊まってくかも(笑)


さぁさぁ。もう腹六分目って感じですけど(笑)、ここだけにいる訳にはいきません。次の目的地、大洲へと向かいましょう。
今から間に合う列車は……12時2分かぁ。
1時間以上あるなぁ……

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック