女川だって頑張ってます!!

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震災なんかにゃ負けねぇぞ!と、津波で大被害を受けた宮城県女川町で、いち早く営業を再開した蒲鉾屋『高政』の高橋社長です。
今回、藤村D・嬉野Dの呼びかけに、笹かまをはじめとするご自慢の蒲鉾をしこたま積み込んで、一も二もなく馳せ参じました。

2年前の3月11日――人も家も、何もかもが押し寄せる大津波に呑み込まれた女川町。
町民の10人に一人が命を失ったと云われる中、山の中腹にある展望台のような高台に、命からがら逃げおおせた人々は途方に暮れていました。
ほんの前まで普通に暮らしていた街並が、今は大波に呑まれ、見るも無残な姿を露呈している。迫り来る夕闇。
誰もが不安に苛まれていた中、ある集団が声高らかに叫ぶ。
ここをキャンプ地とする!
『ヨーロッパ・リベンジ』――今夜泊まる宿が見つからず、野宿を決断した藤やんが、ドイツの道端で宣言したアノ名台詞である。
途端に巻き起こる爆笑の渦。
「そうだ、俺たちはこうして生き延びたじゃないか。途方に暮れている場合じゃない。こんな悲劇は笑い飛ばしてやろうじゃないか」
その場に避難できた人たちは、互いに身を寄せ合い、励まし合いながら、夜を明かしたそうです。
で。
その名台詞を叫んだ張本人というのが、誰あろう高橋社長だったのです。

その後も「女川が復興するには、街が活気を取り戻して、たくさんの人に来てもらわなきゃ」と、仲間と一致協力して〝女川商店街復幸祭〟(「復興」じゃなくて「復〝幸〟」なのがミソ)を企画。
町の人からは「こんな時に〝祭〟は不謹慎だ」という声も上がりましたが、「いや、こんな時だからこそ〝祭〟なんです!」と説得してまわり、昨年3月に開催された〝復幸祭〟は予想以上の大盛況。
自らも「震災復興の先駆者にならねば」と、津波で根こそぎ流された蒲鉾工場をいち早く再建して頑張ってます。

〝復幸祭〟の実行委員長を務めた阿部さんの家は、『マルキチ阿部商店』という海産物屋を営んでいましたが、高橋社長と同じく、工場を津波にさらわれてしまいました。
同じ津波被災者同士、そして同じ〝どうでしょう藩士〟同士という事で、高橋社長に誘われた阿部さん、再建された『高政』の敷地を間借りして、『リアスの詩』という美味しいさんまの昆布巻きを作ってらっしゃいます。

震災当時の話を聞き及んだ藤村・嬉野両ディレクター、「これは是非会いに行かねば」と女川を訪れたのが、昨年3月――ちょうど〝復幸祭〟の日の事。励ますつもりが逆に励まされて帰ってきたという。
その後、今回の〝どうでしょう祭〟の概要が出来上がってきたところで、

     「どうだい? 祭で蒲鉾を売ってみないかい?」
     「是非行かせていただきます!!」

という訳で、『阿部商店』の阿部さんと一緒に、今回の出品と相成った訳です。


高橋社長が手にしている「女川どうしよう」のステッカー。
〝復幸祭〟の時に作って売り出したところ、あっという間に完売したそうです。藤やん・嬉しーからもお墨付きをもらい、番組初の〝公認非公式ステッカー〟(どっちやねん!)として再登場!
この「女川どうしよう」の言葉は、「どうしよう……いったいどうしたらいいんだろう……」という途方に暮れた言葉では決してなく、「これから復興して行く女川町。どうとでもできるぞ。さぁ、どうしてくれようか」という意気込みの表れなんだとか。
いいですね。
元気ですよ、女川町。震災なんかに負けてませんよ。
笹かまも旨ければ、昆布巻きも旨い!!

宮城県女川町――これからも見守って行きたい街です。
もちろん石巻だって、釜石だって、陸前高田だって。

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