日 没する処の日御碕

画像出雲大社から国道431号沿いに西へ。古代出雲伝説にも登場する稲佐浜から海岸沿いに北上すると、行き着く先は日本一高い灯塔を有する出雲日御碕灯台です。
国内最大規模のレンズを用いた灯火部は48万カンデラの光度を誇り、遥か21海里(約39km)先までを照らし続けています。
犬吠埼灯台や室戸岬灯台など、国内で6つしかない第1等灯台のひとつに挙げられています。

明治32(1899)年、島根県の浜田港と鳥取県の境港が開港場に指定され、外国貿易が盛んになってくると、大型の沿岸灯台設置の必要性が高まってきました。そこで、両港の中間点であり、広く日本海を望む景勝地でもある日御碕に、国内最大級の灯台が築かれる事になりました。
明治政府が招いた外国人技師から学んだ灯台建設技術と、戦国時代から磨き上げてきた築城技術・石工技術を融合させ、設計・施行を含めたすべてを日本人の手による洋式灯台として、出雲日御碕灯台は3年の大工事の末、明治36(1903)年に誕生しました。
硬い凝灰質砂岩で築かれた白亜の灯台は、地上から塔頂部までの高さが43.65m。海面から灯火までは約63m。初点灯から100年以上を経た今も、日本海の安全を明るく照らし続けています。
平成10(1998)年、海上保安庁が選定した〝日本の灯台50選〟に、また、国際航路標識協会が「世界各国の歴史的に特に重要な灯台」を基準に選んだ〝世界灯台100選〟に選ばれています。
(ちなみにこの〝世界灯台100選〟、日本からは5つの灯台が選ばれ、しかも、同じ島根県からは美保関燈台も選ばれています。
島根半島の東端と西端が選ばれた形ですね)


この出雲日御碕灯台、塔内が一般公開されている「参観灯台」となっています。参観料は中学生以上200円。
すれ違うのもキツい、急で狭い螺旋階段を昇る事150段、さらに急になる階段を13段昇ると、日本海を一望する灯火台のテラスに出る事ができます。
この螺旋階段、何度も言うようですが急で狭い上に、靴を脱いでの入館ですので、非常に滑りやすいので危険です。手摺をしっかり持って昇りましょう。
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遥か遠くまで広がる日本海に気を取られがちですが、後ろを振り向くと、直径2.6m、焦点距離92㎝という第1等フレネルレンズが顔を覗かせています。
この日本最大級のレンズを介して、白2・赤1の閃光が20秒毎に交互に照らされ、往来する船舶の安全を確保し続けているのです。
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出雲日御碕灯台から少し戻りまして。
県道29号線から脇道に逸れ、谷を下った先にある集落の中に、白壁と朱塗りの柱も美しい、荘厳な権現造りの社殿が建っています。
画像天照大御神(アマテラスオオミカミ)と素盞嗚尊(スサノオノミコト)を祀った日御碕神社です。出雲大社の「祖神様(おやがみさま)」としても知られています。

現在の社殿が建つ背後・隠ヶ丘という地に祀られていた素盞嗚尊の神魂を、安寧天皇13(紀元前536)年、勅命により現在地に遷座したのが創建とされています。
また、ここより程近い経島(ふみしま)に永らく祀られていた天照大御神の神魂を、天暦2(948)年、村上天皇の勅命で現在地に遷座し、名を日御碕神社と改めたといいます。
現在建つ社殿は、徳川第3代将軍・家光公の命により、寛永21(1644)年に建立されたものです。昭和28(1953)年には、すべての社殿と境内の石造建築物を含め、国の重要文化財に指定されています。
ところで、不思議に思いませんか?
出雲大社がすぐ近くにあるのに、また、出雲大社の祖神様とされている日御碕神社の建築様式が、どうして「大社造り」ではなく「権現造り」なのでしょう。
これは想像の範疇に過ぎませんが、前述のとおり、普請が将軍家光の命による幕府直轄工事であった事、工事が日光東照宮造営の翌年である寛永14(1639)年に始まった事、などが大きく影響しているのかもしれませんね。
おそらくですが「八百万の神の拠所たる出雲大社。その祖神様である日御碕神社は、神君家康公を祀る日光東照宮と同じ造りである。故に、出雲大社より東照宮の方が格が上であり、出雲大社の祭神である大国主神よりも神君家康公の方が神格が上である」と顕示する為の措置だったんじゃないか、と。
戦国乱世が終わりを告げたとはいえ、まだまだ下克上を狙う者が現れないとも限らない。徳川の治世を磐石にする上でも「神君家康公は、八百万の神々のさらに上に立つ存在。その神君を先祖に持つ徳川将軍家には逆らうなよ」と諸大名に誇示する必要があったんじゃないでしょうか。
この後、武家諸法度の制定や参勤交代の導入などで、諸大名の力を削ぎ、徳川将軍家に忠誠を誓わせる手段を取ってきた将軍家光ですから、これぐらいの事を思いついて、実行に移したとしてもおかしくはないでしょう。
権謀術数。徳川の治世を磐石にする為なら、たとえ神様だろうと、利用できるものは何でも利用してやる――という野心が見え隠れする気がしないでもないです。
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石垣で築いた高台の上に鎮座する、上の本社『神ノ宮(かむのみや)』には、素盞嗚尊と3人の娘――田心姫命(タキリビメノミコト)、瑞津姫命(タキツヒメノミコト)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)――が祀られています。
本殿たる下の本社『日沈宮(ひしずみのみや)』には、天照大御神と5人の息子――正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)、天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)、天津日子根命(アマツヒコネノミコト)、活津日子根命(イクツヒコネノミコト)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)――が祀られています。
配置としては、スサノオがアマテラスを見下ろす構図になってます。
『日沈宮』という名前は、天平7(735)年の聖武天皇の勅命に「日の出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん」とあるように、古来より夕日を餞け鎮め祀る聖地とされてきた事から名付けられたものです。
そういったバックボーンもあってか、ここ日御碕の地は、古より太陽信仰――特に夕日鎮魂の聖地とされてきました。

だからなんでしょうかね、日御碕神社全体が、どことなく物悲しい雰囲気を纏っているのは。

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