明治の馨り漂う御来屋駅

画像米子ライフ71日目。昨夜から降ってた雨も、午後から止みました。止んだら止んだで、風が強くなってきましたけど(笑)
ワタクシめ、本日はお休み。なのに、どこへ行くでもなく、ただのんべんだらりと過ごすってのは、何とももったいない話。という訳で愛車マー君に乗り、東へ向かって出発!
そういや、こっちへ来てから西へは行ったけど、東へ向かった事はなかったなぁ。
山陰道を、今のところの最東端・名和インターで降ります。国道9号線と出くわす交差点のすぐ手前に、JR山陰本線の御来屋(みくりや)駅があります。
赤ポストも懐かしいこの木造平屋建の御来屋駅、なんと山陰最古の駅舎なのです。


米子初訪問の回や境港プチ旅行の回でもチラッと述べましたが、山陰で最初の鉄道は明治35(1902)年11月に、境(現・境港)~御来屋間で開通しました。以後、年を経る毎に東へ東へと延び、明治41(1908)年4月には鳥取まで延伸。また、西へは米子から安来までが延伸開業した事を受け、起点を境から鳥取に変更され本線に。境~米子間は支線になりました。
11月にはさらに松江まで延伸され、翌年10月、「山陰鉄道」と呼ばれていた鳥取~松江間は、「山陰本線」と命名されました(境~米子間は「境線」と命名)。
山陰本線は、明治45(1912)年に京都まで開通。下関まで(山陰本線としては、一駅手前の幡生まで)開通したのはぐっと遅く昭和8(1933)年。そして現在に至る。
――とまぁ、簡単に山陰本線の沿革を紹介しましたが、この御来屋駅は開業当初の姿のまま、現在もなお駅舎として活躍している現役選手だというからオドロキ。実に御歳106歳ですよ。

駅舎内の待合室は、まさに小さな鉄道博物館です。
券売所の構造ひとつ取ってみても、開業当時の面影が残っていますよ。
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荷捌き所の窓口は、ちょっとした鉄道資料室になっています。ミニコーナーより小さい「ミニミニコーナー」って感じですね。
ここには、過去に鉄道事務で使っていたスタンプ類や改札鋏、駅名標、記念切符、特別列車に使われたヘッドマーク、70年代に全国展開された『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンで使われた駅名入りスタンプなどが展示されています。これらを眺めていると、「あぁ、そういえばこういう時代もあったなぁ……」と感じさせられる物ばかりです。
入口脇には、山陰本線と御来屋駅の歴史を物語るパネルが掲げられています。
それによりますと、開業当時の境~御来屋間の運賃は、3等客車(今で云う自由席)で38銭。2等客車(今で云う指定席)で67銭。1等客車(グリーン車?)は連結されていなかったそうです。
当時は、中間管理職サラリーマンの月給が6円、コーヒー1杯の値段が2銭だったという話ですから、その運賃がいかに高かったかわかるでしょう。
(コーヒー1杯400円として換算すると、2等で13,400円、3等でも7,600円にもなりますよ)
当時、〝陸蒸気〟というものは、特別な乗り物だったんですねぇ。

画像かつての事務室や駅長室だった場所は改造され、『みくりや市』という地場産品を直売するショップになっています。
中身は変わってしまったとはいえ、今も昔も地元の方にこうして親しまれ、愛されてるのを見ると、何だか嬉しくなっちゃいます。
まして、旧出雲市駅舎のように、いまはもう駅としての役目を終えてしまった建物は全国に数多くありますが、駅舎として未だ現役というのも泣かせる話じゃありませんか。
老朽化と合理化の名の下、歴史ある駅舎がどんどん建て替えられて行く中(時には駅舎すらなくなってしまう中)、鉄道開闢当時の面影を今なお伝える駅舎があるという事、そして今なお守られて行っているという事――これは、山陰が日本中に誇るべきものだと考えるのですが、いかがでしょうか。


願わくば、この先10年、100年と、この駅舎がずっと守られ、受け継がれて行きますように――

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