絵はがき坂、上って下りて

画像オランダ坂は、大浦海岸電停から石橋電停に至る誠孝院(じょこういん。日蓮宗の寺院)前の坂までの切通し、活水学院(活水女子大学)前の活水坂、旧英国聖公会会堂跡前に至る坂の3つの坂の総称です。
中でも活水坂一帯を指すのが一般的のようです。
切り出しの石で舗装された坂道は、異国情緒溢れる、それはそれは印象深いものです。

オランダ坂がある東山手地区は、開国後はイギリス人居留地だったという歴史があります。
坂の上には、甲子園でもおなじみの海星高校がありますが、ここには日本初のプロテスタント教会である英国聖公会会堂が建っていました。ここに住んでいたイギリス人が日曜礼拝で教会へ通う道を作る為、市に働きかけ、巨費を投じて山を切り通し、馬車も通れるように石を敷き詰めたそうです。
道に対する日本の考え方は「とにかく人が歩ければいい」というものだったので、土が剥き出しの凸凹で細いものでしたが、そこに現われた道幅も広く舗装された居留地の道は、それはそれは奇異に映った事でしょう。
ところが長崎の人、出島の時代から交流があったのはオランダ人。加えて西洋人ならどこの国の人か見分けが付かないもんで、イギリス人だろうがフランス人だろうが、異国人はすべて〝オランダさん〟と呼ばれていたそうで。で、〝オランダさんが通る坂〟だから「オランダ坂」、と。
なので、今現在「オランダ坂」と呼ばれている坂以外にも、居留地一帯にある坂は総じて「オランダ坂」と呼ばれていたとか。
なんてアバウトな……
画像さて。肝心の「日本三大ガッカリ名所〝候補〟」の検証ですが……
ナルホド、これはガッカリだ。
だって、ただの坂なんですもの。
何がある訳じゃなく、ただ石畳の坂が続いてるだけ。
最初のうちこそ「これがオランダ坂かぁ」なんて感動してても、汗を拭きつつエッチラオッチラ上ってくうちに口数も少なくなり、

「……坂だね」
「……うん」

これ以上、何を期待しろっての?


さだまさしの歌に『絵はがき坂』という歌があります。

        活水あたりはまだ 絵はがきどおりの坂
        つたやかづらの香り背に 学生達が通る


実際に「絵はがき坂」なんて坂は存在しないんですが、歌詞から推測するに、おそらくこの活水学院前の坂を指すんだろう、と。
だからどうだって事もないんですけど。


前述のとおり、東山手一帯は外国人居留地だった所で、周囲をくるっと巡ると、明治期から残る洋館がいくつも建っています。
中でも有名なのが、『東山手十二番館』と呼ばれる平屋の洋館。
長崎港を望む景観の良い丘に建ち、白い壁と三方を囲む幅広いベランダが特徴的な木造洋館です。広い中央廊下やゆったりとした間取りの部屋が、元領事館らしさを醸し出しています。
プロシア領事館として明治元年に建てられ、その後アメリカ領事館や宣教師の住居として用いられた館は、現在はこの東山手一帯に次々と創設された私学ミッションスクールの歴史を紹介する『旧居留地私学歴史資料館』として一般公開されています。入館無料。
館内には、居留地時代の貴重な資料や写真、メソジスト派(婦人外国伝道教会)宣教師が使っていた家具や食器などが展示されています。牧師ではなくシスターの住まいだっただけあって、家具のひとつひとつを取っても、どこか女性らしい趣があります。
主体は〝私学歴史資料館〟ですので、ここ東山手の丘にどれだけ多くのミッションスクールが創設されたか、それが全国に点在するミッションスクールの前身となった事などが紹介されています。
もっとも、それだけ多く存在したスクールも、いつしか移転や閉校・廃校となり、今もこの地に残るのは活水学院と海星学園の2つだけとなってしまいました。
画像画像














      広いベランダが印象的な東山手十二番館         半八角形の出窓が珍しい活水同窓会館

『東山手十二番館』の周囲にも洋館は多く残されていて、現にすぐ隣には、半八角の出窓が特徴的な2階建ての活水同窓会館が建っています。残念な事にこちら、活水女学院の来客用宿泊施設となっているので立入禁止。外観を眺める程度になっております。
う~ん……こんな造りの洋館、神戸でも見たなぁ。確か、どこかの国の大使館か何かになってたはずだ。
坂を上った先には(下りてか? ん?)洋館7棟が密集して立ち並ぶエリアがあります。『東山手洋風住宅群』と云い、明治中期から後期にかけて建てられたものなんだとか。
ただ……他の洋館に比べてあまりに密集し過ぎてたり、中国風の欄間飾りが施されてたり、瓦屋根にマントルピースあったり、どこか様子が違う。「洋館」よりは「無理やり洋風にしましたぁ」て感じがしなくもない。
それもそのはず、この住宅群を建てたのは中国華僑の人たち。当時上海などに建てられた賃貸住宅がモチーフと考えられてるんだとか。
道理でね。
大柄な西洋人が暮らすには、いささか窮屈だもん。住んでたのが中国人なら納得いくわ。
和洋折衷と申しますか、和洋中三ツ巴と申しますか、中国文化が花開いた長崎ならではの建築様式ですわな。
7棟のうちいくつかは、居留地時代の長崎の姿を紹介する古写真資料館や、江戸時代全般の近世遺跡から出土した遺物を展示する埋蔵資料館として一般公開されています。一部入館有料。
画像画像

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック