長崎ぶらぶら

風ぇ~もないのに ぶぅ~らぶら♪
……『長崎ぶらぶら節』って、こんな歌じゃないよね(笑)
実は「長崎に行ったらコレ食いたい!」てのがありまして。ついででもって、『光圀さん』のミッションも達成しときたいな、と。
ハイ、そうです。狙うは長崎名物・卓袱(しっぽく)料理です。


卓袱料理は、いつ誕生したかは定かではありませんが、長崎で暮らしていた唐人が地元の日本人を招いてもてなした円卓料理がルーツと言われています。国際都市・長崎らしく、中国の精進懐石料理である普茶料理の配膳形式に、和食・中華・洋食(主としてオランダ伝来)をミックスした献立が幾つもの大皿に盛り付けられ、それを銘々が自由に取り分けながら食べる宴会料理の一種です。「銘銘膳」(一人に一つの御膳が用意される形式)に象徴される日本の食事形式とは相対比するもので、異国文化との融合の中で生まれた、長崎を代表する料理形式でもあります。
イメージとしては、結婚披露宴のテーブル料理を思い浮かべてもらえば。実際、長崎での披露宴料理は、この卓袱料理が主流だとか。
当初は食卓を囲んで楽しむ家庭料理として親しまれましたが、やがておもてなし料理として確立し、今では割烹や料亭などで味わう、幾分敷居の高いものとなってしまいました。
そんな妙にハードルの高いものになってしまった卓袱料理。御多聞に漏れず、どの店も2名以上からの予約注文になります。
一人旅してて何がツラいって、目当ての美味しい物を食べたいと思っても門前払いを食らわされる事。高知の皿鉢料理なんか、いい例ですね。
おまけに、飛び込みでは食べさせてもらえない事も多々あります。これも困る。ふらっと立ち寄った先で、「あ、コレ食べたい!」と思って店に入った矢先、「予約がないから」って断られる時の哀しさ。
……頼むから一人前で食わせろや。して、事前予約ナシでも食わせろって。
何とかならんものかとガイドブックをめくると……お、あるよ! 一人でも食べさせてくれる店。しかも予約ナシで。
長崎一の繁華街・思案橋界隈から程近い、鍛冶屋町にある『長崎卓袱 浜勝』さん。
よし、決めた! 昼飯はここにしよう!――なぁんて思いつきで決めた風な事言ってますが、実は昨夜のうちから決めてたりして(笑)


思案橋交差点で信号待ちしてますと、隣にいた大学生くらいのカップルの会話が、聞くとはなしに聞こえてきました。

     「ねぇねぇねぇ~」

     「ん~?」

     「せっかく長崎に来たんだからぁ~、アレ食べたいよねぇ~」

     「アレって?」

     「え~と、ホラ、何てったっけ? ん~と……あぁ! へっぽこ料理!!

……コイツらぶった斬っちゃっていいスか? 2ミリ巾に切り刻んじゃっていいスか?

画像さて、そんなへっぽこ料理卓袱料理がいただける『浜勝』さん、思案橋電停から浜市アーケードを横切り、通りを一本行った右手――ローソンの前を曲がった先にございます。途中『とんかつ浜勝』という店がありますが、そこは店名どおり〝とんかつ屋〟ですからお間違いなく。
階段をトントント~ンと上がると、2階の大広間に通されます。大広間には、「卓袱」の名の由来ともなった朱塗りの丸テーブルが幾つも置かれています。
懐かしいですねぇ~、ちゃぶ台ですよ、ちゃぶ台。一徹父ちゃんに敬意を表して、いっちょひっくり返してやりましょうか(笑)
そういえばちゃぶ台って、漢字で書けば「卓袱台」なんですよね。
……「ちゃぶ」って何(爆)
中国語で「卓」とはテーブルを、「袱」とはクロス(布)を指す言葉で、直訳すると「卓袱」はテーブルクロスという意味。また、長崎奉行所の記録によれば、「しっぽく」とは中国広南地方(ベトナム国境付近)の方言と記されていますが、そのどれを取っても確かな語源ではないようです。ただはっきりしているのは、こういった円卓を囲んでワイワイやる料理形式の事で、訛じて卓袱うどんなどのように「具だくさん」という意味にもなっています。

画像ワタクシめがオーダーいたしましたのはコチラ、〝ぶらぶら卓袱〟と申します。
宴席料理である卓袱を一人用にまとめたような感じで、品数も少なく、小じんまりとしてますが、「御鰭」から「梅椀」までフルコース揃っております。昔からのしきたりに倣って、取り皿もちゃ~んと2枚。
これにてお一人様税込み3,045円ナリ――お高い?

先ずは「御鰭」――吸い物椀から。
はんぺん、鯛の身、椎茸、青身野菜、餅など山・海・野の幸が入った潮仕立ての汁椀です。「御鰭」というのは「鯛の頭から尾まで、丸々一尾を使いました」というもてなしの意味を込めて付けられた名前とか。店によっては、本当に鯛の鰭が入っているんだとか。
料理が運ばれてきて、女将さんの「御鰭をどうぞ」という挨拶が「いただきます」の合図。このお吸い物を飲み干してからが、お膳の始まり。宴会にあっては、出席者全員が汁椀を飲み干すまでは乾杯も始まらないんだとか。
乾杯より何よりお吸い物が先って、どういうしきたりなんでしょ。
して、主催者が場を仕切るよりも、女将さんの方が上って……

「御鰭」が終わってしまえば、後は自由です。
基本的に取り皿は2枚ですが、堅苦しく考えずにドンドン行きましょう。もし取り皿が足りなかったら、注文すればいいんです。きっとフットボールアワー岩尾のように

     「こちら当店自慢の取り皿です」
     「本日オススメの取り皿です」

と持ってきてくれる事でしょう(笑)

「お造り」は、鰹、鯛、そして長崎近海で取れる太刀魚の刺身。

「口取り」(三品盛)は、岡持ちのような器に載せてやってきます。
     ・炊合せ――里芋やカボチャなどを炊いたものに、茹で海老や煮凝りなどが付きます。
             非常に上品な味付けですね。
     ・酢の物――昨夜はポン酢でいただいた「鯨のおばけ」を、今日は酢味噌でいただきます。
             僕的にはこちらの方が好きかも。
     ・揚げ物――海老のすり身をパンで挟んで揚げた、蝦多士(ハトシ)という中国伝来の料理です。
             コレ、食感が面白いです。外はサクサク、中はしっとり。
             小樽「かま栄」のパンロールにも似てますかね。あそこまでのボリューム感はありませんが。

「中菜」は東坡煮(とうばに)――中国料理で言うところの東坡肉(トンポーロー)、いわゆる豚の角煮ですね。
豚の三枚身をたっぷりの地酒と特製ダシでじっくり煮上げた逸品。箸で切るとスッと身が切れ、口の中に入れるとホロッと崩れてく。
たまりませんねぇ~。

これに御飯と香の物が付きまして、すべて食べ終わると、デザートとして「梅椀」が出てまいります。お写真にないのは御愛嬌という事で。
「梅椀」とは、桜の花びらの塩漬けが入った汁粉の事です。桜なのに梅椀とはこれいかに。
出島の項でも申しましたが、江戸時代において、砂糖といえば大変貴重な代物。それをこうしていただけるのは、贅沢以外の何物でもなかったのです。おもてなしで御馳走を振舞うとなったら、外せない一品だったんでしょうね。
貿易都市・長崎だからこそ出来た事ですね。
「甘いものは甘かるべし」という心構え、そこに長崎人の〝もてなしの心〟を見た思いがします。
料理のグレードが上がるにつれ、バラ煮(豆の密煮)、焼き物、揚げ物、対馬名物・石焼料理、水菓子(フルーツ)などが加わります。後は、御飯の代わりに押寿司が出たりもします。刺身なんか姿盛りになっちゃって……
ここまでくると、豪勢を通り越して長崎式満漢全席(笑) 腰が退けちゃいますねぇ。

いやいや。なかなか。お昼御飯だというのに、随分と贅沢な思いをさせていただきました。
和食・洋食・中華が混在した、それでいて調和の取れた洗練された味。地元長崎では〝和華蘭(わからん)料理〟とも呼ばれるそうです。
わかってても〝わからん〟料理(笑)


画像思案橋からやや少し行った先に、長崎名所の一つ・眼鏡橋があります。
浜市アーケード街を真っ直ぐ抜け、中島川に突き当たったところで右手を振り向くと、その独特のフォルムをした石橋が目に入ってきます。2つのアーチが連なり、川面に映った姿が眼鏡のように見える事から名前が付いた「眼鏡橋」、架けられたのは寛永11(1634)年の事。日本中に「眼鏡橋」と名付けられた橋は多々ありますが、長崎の眼鏡橋は日本最古の石造りアーチ橋といわれています。
思案橋界隈、今では橋なぞ影も形もありません(そもそも川すら流れてません)が、中島川には大小14の石橋が連続して架かっています。眼鏡橋はその10番目の橋に当たります。
その石橋群も、老朽化や水害の影響で、眼鏡橋・桃渓(ももたに)橋・袋橋の3橋を除いて鉄筋コンクリート製などに架け替えられてしまいました。架橋当時の姿とは違ったものになってしまいましたが、「昭和の石橋」として、その風情を今に伝えています。
眼鏡橋周辺の中島川は、両岸が公園を交えた遊歩道になっています。所々に四阿(あずまや)が据えられており、人々は時に休み、時にノンビリと散歩しています。川のすぐ際にも遊歩道があり、橋の袂にある階段で下まで降りられるようになっています。今時分の猛暑の時期、川縁に涼を求める人たちも見受けられます。
画像遊歩道の中程に、「上野彦馬生誕の地」の銅像ならぬ石像があります。
「上野彦馬?って誰?」と思われた方へ。
えっと……坂本龍馬の肖像写真、見た事ございますか? 高知・桂浜にある銅像のモデルにもなった、あの花台みたいなのに寄りかかるようにして立っている、「坂本龍馬といえばこの写真」といわれる写真。
あれを撮ったのが上野彦馬です。
日本最初のプロカメラマンとも言われ、現存する幕末の志士や明治の高官の肖像写真のほとんどが、彦馬の手によるものと伝えられています。
天保9(1838)年、長崎・銀屋町(現在の古川町)に生まれた彦馬は、蘭学所で化学を学ぶうち湿板写真術(現在の乾板フィルム発明以前の写真技術。ガラス板に感光液を塗り、それが乾かぬうちに撮影・現像を行なう方式)に興味を抱き、独学で技術を習得。文久2(1862)年に中島河畔(現在の伊勢町)にあった居宅を改造して「上野撮影局」を開業します。これが日本最初の写真館と言われています。彦馬は、名士と呼ばれる人たちの肖像写真を数多く残しただけでなく、金星の観測写真(日本で初めての天体写真)の撮影に成功。また、西南戦争の折には明治政府に請われて戦場写真を撮影する(日本初の従軍カメラマン?)など、日本写真界の祖として高く評価されています。
はぁ~……あの有名な龍馬の写真、長崎で撮られてたんですねぇ~。てっきり晩年間近に京都で撮ったものだと思ってましたよ。ま、新し物好きな龍馬ですから、何となく肯けますがね。



長崎での最後の散策、どことなく地味ぃ~に終わっちゃいましたねぇ。
この後は博多に移動して、そこからまた延々と『ムーンライト』に揺られる夜が待ち受けてます。
これにてシメるには、ちょっと物足りなかったですかねぇ?
……まぁ、いいでしょう。それこそワタクシらしい、〝のらり旅〟っぽくていいじゃないですか。
讃岐屋にハデさを求めちゃいけない(笑)
この次に長崎に来る時は、何かしらキッチリとテーマ付けて来ましょうか。
例えば――
長崎カステラを食い尽くす旅

え~? それだけはヤメとこうや……

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