聖母は今も此処に在りて

画像〝おのぼりさん〟ついでに、これまた長崎観光に来た誰もが行くだろう大浦天主堂へ向かいます。
「向かいます」たって、帰り道の途中――グラバー園の出口を少し下りた先にあるんで、向かうもヘッタクレもないんですけど。

大浦天主堂は日本最古の木造カトリック教会です。正式名称は『日本二十六聖人殉教者天主堂』と云い、慶長2(1597)年に日本で最初に殉教した26人(その中には子供もいました)に捧げられた教会です。その証しとして天主堂は、殉教者が処刑された〝殉難の丘〟に向けて建てられています。
フランス人宣教師プティジャン神父が中心になって、元治元(1864)年の冬に完成を見ました。建築当初は3本の尖塔を持つゴシック調、正面中央の壁面はバロック風、外壁は日本的なナマコ壁という特殊なスタイルでした。その美しさと物珍しさから、地元の人たちからは「フランス寺」と呼ばれていました。
ただ、不思議な事に。
居留地に住む外国人の為に建てられたはずの天主堂正面には、なぜか日本語で『天主堂』と金文字で大きく掲げられています。
実はコレ、もしかしたら存在するかもしれない日本人信徒への「神はここにいらっしゃいます。共に祈りましょう」というメッセージだったのです。
果たせるかな、年が明けた慶応元(1865)年の春のこと。見物客に紛れた浦上地区の隠れキリシタン数名が、プティジャン神父に信者である事を密かに打ち明け、ここに世界宗教史上においても歴史的な〝日本人信徒発見〟が成された訳です。
明治に入って禁教令が解かれた事もあって、信者が飛躍的に増えて教会が手狭になった為、明治12(1879)年に外壁をレンガ構造に改め、間口・奥行きを大きく拡げるなどの大改修が行なわれます。この時に、特徴的だった3本の塔も1本に改められるとともに、建築様式もゴシック調に統一され、現在の姿になったとされています。

拝観料300円。パンフレットは別売100円――何でしょう、この「信仰」とはおよそ程遠い、商魂丸出しっぷりは。「金払わなきゃ一歩たりとも中にゃ入れねぇぞ」的雰囲気がビッシビシ伝わってきます。
……まぁ、痩せても枯れても〝国宝〟ですからね。しょうがないっちゃあしょうがないんですけど。良心的なお値段なんじゃないですか? パンフ別売りがなければ、ですけど。
画像聖堂入口には、身の丈5尺(約150㎝)の白亜のマリア像があります。『慶応元年三月十七日 日本之聖母 信徒発見記念』と刻まれているとおり、〝信徒発見〟を記念してフランスから贈られたブロンズ像です。贈り主がフランスなのは、単にプティジャン神父がフランス人だったからなんでしょうね。
聖堂内は撮影禁止。
というのも、大浦天主堂は観光名所であると同時に、カトリックの宗教施設でもあるからです。
とはいっても、ミサなどの宗教行事は、隣に建てられた新天主堂(大浦教会)で行なわれています。今なお〝宗教施設〟なのは、ここが日本のキリスト教発祥の地であり、重要な場所だからなんでしょうね。
教会独特の高い天井と色彩豊かなステンドグラス。その大部分は原爆の爆風で屋根もろとも吹き飛ばされてしまったものの、側廊や脇祭壇上部のステンドグラスは奇跡的に戦禍を逃れ、明治12年の大改修当時の物がそのまま残されているそうです。
中央の大祭壇をはさんで左右に小さな脇祭壇が設えてあります。とりわけ右の祭壇に飾られた聖母子像は、〝信徒発見のマリア像〟と呼ばれています。プティジャン神父が、信者である事を明かした隠れキリシタンをこの聖母子像の前に案内し、ともに祈りを捧げたのが〝信徒発見〟のきっかけだというのです。
つまりこの聖母子像は、遡る事140年以上も昔からこの地にあって、日本でのキリスト教の歴史を見守ってきた証人な訳ですね。そう思って見ると、この小さなマリア像も……やっぱり普通のマリア像にしか見えんなぁ(笑)
画像聖堂の左隣には小さな広場があって、そこには信徒発見100周年を記念したレリーフがあります。
また、奥にある池の畔には、十字架像を挟むようにして、プティジャン神父の像、先代の教皇ヨハネ・パウロ2世の胸像(昭和56(1981)年に来日した事を記念して作られたもの)があります。
実はプティジャン神父、今も大祭壇の地下に眠っており、墓碑は内陣右壁に掲げられた石版がそうなんだとか。
――なぁんてな話も、後々知った事。ちゃんとした案内パンフでもありゃ、それ見ながら「はぁ~……これがぁ~……」とか言いながら見られたものを、丸々スッ飛ばしちゃいましたよ。
ガイドブックにも、そんな事ひとっつも書かれてないし。
あの有料パンフレットを買ってた人がいたんで、横からチラッと覗かせていただきましたが、天主堂の案内パンフってより、カトリックの説話集みたいな感じでしたよ。ホラ、よく『ものみの塔』なんかが配布してるような。
たまたまそういうページだったのかもしれませんが、だったらわざわざ買うほどのモノでもないなぁ~、と
はぁ……
皆さま。いつか長崎へ行く機会が、そして大浦天主堂を訪れる事がございましたら、ワタクシの代わりにじっくり見て「ほぉ~……」と感嘆の声を上げてきて下さいな。

聖堂のすぐ右隣には、木造三階建て・白壁の洋館が建ちます。禁教令が解かれた日本の再布教を目指し、日本人聖職者育成を目的にプティジャン神父が設立した神学校『羅典(ラテン)神学校』です。明治8(1875)年に建造され、大正15(1926)年まで神学校の校舎兼宿舎として使われ、その後も司教の住居や集会所などに利用されました。
現在はキリシタン資料室として、キリスト教の日本伝来(フランシスコ・ザビエルの布教)からキリシタン弾圧までの歴史を、「まりあ観音」の掛け軸や踏絵(レプリカですけどね)など数々の資料を通じて紹介しています。
画像僕、実物の踏絵を初めて見ました。
意外と種類の多さに驚いてしまった次第。よく知られている真鍮板の踏絵の他にも、信徒から没収したキリストやマリアが描かれたメダイ(メダルの事です)を板に嵌め込んだ即席の踏絵(板踏絵と云います)なんてのがあったり。
ただまぁ、こんなものでキリスト教信者を燻り出そうとしたなんて、時代とはいえ何ともまぁえげつない事をやってたもんだな、と率直に思った訳です。「キリシタンでなければ踏めるはずだ」って云うけれど、信者じゃなくても、そうそう踏めやしませんって。
まぁ、自分の命が懸ってるとなれば踏まざるを得ないでしょうけど。
中にはいたんじゃないですかね。実はキリシタンだけど、命惜しさに踏んだって人も。

あと、これはあまり知られていない歴史ですが。
キリシタン弾圧というのは明治になってもしばらく続いていたんですね。
僕は、キリスト教への迫害は江戸時代までのお話で、明治になったら廃止されたとばかり思ってましたよ。違ったんですね。
しかも、明治に入ってからの方が、より凄惨だったんだとか。
先にも述べたように、浦上地区の隠れキリシタンが「信者である」と打ち明けた〝信徒発見〟が慶応元年の事。当初はわずかな人数だったのが、「実は私もです」と告白する人が日増しに増えて行く事に。ところが世は未だキリシタン禁教令の最中。事が明るみになるにつれ、浦上の信徒は次々に捕縛され、改宗を迫る激しい拷問を受ける事になります。
徳川幕府が倒され、時代は明治に移りますが、神道をベースに国家統一を考えていた明治政府によってキリシタン禁教令は継続されます。捕らえられていた信徒たちは頑なに改宗を拒み、業を煮やした明治政府は慶応4(1868)年、彼らを流罪に処します。
当然、諸外国から非難・抗議の声が続々と上がりますが、明治政府はまったく意に介さず、明治3(1870)年までの3年間で、のべ3千人以上もの長崎のキリシタンが流罪に遭います。これを世に〝浦上四番崩れ〟と呼びます。
ちなみに「崩れ」とは「隠れキリシタンへの弾圧」という意味。つまり〝浦上四番崩れ〟は「浦上地区の隠れキリシタンに対する4度目の弾圧」という事になります。て事は、かつて〝一番崩れ〟から〝三番崩れ〟までの弾圧事件があったって事ですね。
さて、流罪といっても、離れ小島などの流刑地に流すのではありません。萩や津和野、遠くは名古屋などに移送し、移送先でも厳しい拷問やリンチを加えられ、その苛酷さ残虐さは徳川幕府時代以上だったと伝えられています。例えば、水責め、雪責め、氷責め、火責め、飢餓拷問、箱詰め、磔、親の前でその子供を拷問するなどなど。
聞いてるだけで背筋がゾワッとなりますし、よくもまぁ人はここまで残忍になれるもんだと。
キリシタン禁教令の廃止には、諸外国からの圧力が大いに関係しています。曰く、日本にとって不平等な友好通商条約を楯に「キリスト教を認めない野蛮な国とは対等に付き合えるはずがない。禁教政策を改めない限り条約改正には応じない」というもの。まぁ、西洋の国々はほとんどがキリスト教の国ですから、これらの主張は当然といえば当然なんでしょうけど。
加えて、仏教を排斥し祭政一致・神道の国教化を目論んだ廃仏毀釈運動も頓挫。神仏共同布教に転換せざるを得なかった事も少なからず影響したようです。
諸外国との関係を何とか対等なものにしたい明治政府は、禁教撤廃に応じざるを得ない状況の追い込まれ、ついに明治6(1873)年、キリスト教禁制の高札が撤廃。流罪となっていた信徒らも無罪放免となります。
この間、流刑となったほぼ半数の600人以上が命を落としています。
故郷に帰還した浦上の信徒たちは、明治12(1879)年に聖堂を建てます。それが現在の浦上天主堂なんだとか。






それにしても何でしょう、知らなかった歴史が次々とワタクシを襲ってきますねぇ。日本の近代化にとって重要だった不平等条約改正のキーワードに、よもやキリシタン迫害の歴史が絡んでこようとは……

これだから旅はやめられないんだよなぁ~。

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