あかおか駅で下車

「アンタ、室戸までは行けんよ」
「えぇっ!?」
慌てて時刻表をめくりますれば。
今から乗ろうとしてる快速列車、奈半利到着は15時42分。一方、奈半利から室戸岬行きのバスが出るのは15時32分。
……ははぁ、確かに10分遅いですな。
その次のバスは18時台。ついでに言うなら最終便。
室戸岬で降りたら、その先の交通手段がない。ましてそんな時間じゃ、見る物なんか何もない。晴れてりゃ海に沈む夕陽でも見られるものの、生憎と今にも降りそうな空模様。
いやいや、遊び過ぎましたな……て、それじゃダメぢゃん!
――いや、昇太さんはもういいから(笑)
駅に置いてあった観光パンフをめくって……あら、赤岡に何か面白そうなのがあるじゃない。
という訳で、赤岡で途中下車する事にします。


幕末から明治にかけて、ここ赤岡を中心に活躍した町絵師に弘瀬雀七という人がいました。幼名は金蔵。絵師の金蔵だから、略して「絵金」と名乗っていました。
文化9(1812)年、高知の貧しい髪結いの子として生まれた絵金は、その類稀なる画才により、藩から特別の許しを得て18歳で江戸に遊学。狩野派の絵師・狩野洞白に師事します。3年後、高知に戻った絵金は、土佐藩家老の桐間家お抱えの絵師として苗字帯刀まで許され、林洞意と名乗ります。
しかし、異例の出世と才能を妬まれてか、贋作事件に巻き込まれます。
絵金が勉学の為に模写した狩野探幽の絵を、出入りの画商が無断で持ち出し(画商に依頼されて模写したという説もあり)、それに偽の署名落款を付けて、城下の豪商に高額で売り付けました。ところが、それが贋作と見破られ、絵金もそれに加担したとして捕らえられます。絵金は「元来より、技能向上を目的とした模写はよくある事。贋作として描いたものではない」と弁明するも一切聞き入れられず、〝偽絵描き〟の汚名で極刑を言い渡され、御用絵師の職も「林洞意」の名も取り上げられ、城下追放に処せられました。また、狩野派からも破門されてしまいます。
どうもそこに陰謀めいたものを感じるのですが、真相はすべて歴史の闇の中、でございます。
十年余りの放浪の末、叔母を頼りに赤岡の町に定住した絵金、名を「弘瀬金蔵」(のち「雀七」と改名)と名乗り、一介の町絵師として、祭りの屏風絵や芝居絵などを数多く残しました。
その絵は、狩野派の面影を残しつつも、既成の手法にとらわれない大胆な墨の線に、赤や青、黄色を基調とした鮮烈な泥絵の具を駆使し、絢爛かつ妖しい夢幻の世界を構築しました。血しぶきが飛び散り、魑魅魍魎が怪しく蠢く、おどろおどろしい世界を描いたが故に、絵金は〝異端の画家〟と称されるようになります。
地位も名誉も持たぬ町絵師として生きた絵金は、明治12(1879)年、その生涯の大半を闇に包んだままこの世を去りました。


さて、そんな絵金の屏風絵を収蔵・保存し、その独特の世界を紹介しているのが、町の中心にある『絵金蔵(えきんぐら)』です。
これがまた……行き着いたのが不思議なくらい、非常にわかりづらい場所にありまして……
道案内の看板に従って、あかおか駅から国道55号線に出て北へ。香宗川に架かる橋を渡り、商店街の中をやたらぐるぐる引き回されます。
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なら、もうすこしわかりやすいように案内しろや。
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というから曲がったのじゃ。すると……
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あった。
(後から地図を見たら、もっと簡単に行けるルートがあった。道案内の看板、使えねぇ~ッ!)

観覧料は500円。館内は3つの展示室に分かれています。
毎年7月14日に開かれる須留田八幡宮の神祭(宵宮)では、商家の軒先に絵金の屏風絵が飾られ、それを蝋燭の灯りが浮かび上がらせるという、幻想的かつ幽玄的な世界が繰り広げられます。
第1展示室では、その光景を再現しています。蝋燭の仄かな灯りの中に浮かび上がる屏風絵を、手提げ提灯を模したライトを片手に見て回るという、まぁ何とも不思議な空間でしたよ。ただ、絵金の屏風絵は、闇の中にあってこそ圧倒的な存在感と異彩を放つと言われていますから、その世界にどっぷり浸れます。
第2展示室は、絵金の制作風景を再現しています。酒蔵をアトリエに、身の丈六尺という体を折り畳むようにして、屏風絵と向かい合う絵金の姿がそこにありました。六尺というと約180cm。当時にしては随分な巨漢です。
螺旋階段を上った2階は第3展示室。ここでは、謎に包まれた絵金の生涯を、数々の文献・資料を用いて紹介しています。
ナルホド、激動の日本を駆け抜けた英傑を生み出した土佐という土地は、芸術の分野においても鋭才を生み出した地だったんですねぇ。

画像『絵金蔵』の向かいには、芝居小屋『弁天座』が建っています。
明治33年頃、地元の旦那衆がお金を出し合い、芝居小屋を造ったのが『弁天座』のはじまりとか。当時は毎日のように大衆演劇や映画などが興行され、それはそれは賑やかだったそうです。しかし、次第に客足が遠のくようになり、やがて閉館。平成の世に入り、「地域活性化の一翼を担おう」と、昨年7月に多目的ホールとして復活しました。
琴平の『金丸座』や内子の『内子座』を手本に、廻り舞台や迫(せり)、花道などを擁し、小さいながらも本格的な芝居小屋として生まれ変わりました。
見学は自由ですが、あくまで貸しホールがメインですから、ホール貸出中は見学できません。この日も、翌日の催し物の準備中という事で、見学は外から覗く程度でした。
残念。

さぁ。
この先東へは行けないから(行ってもムダだから)、高知まで引き返し、帰路に着く事にします。
「東四国のらり旅」のはずが「高知東部のらり旅」になってしまいましたな。
……何だったんだ、この旅は。

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