名古屋市市政資料館

名古屋市役所前を左に折れ、拘置所方面へ歩いて行きます。
県庁東大手庁舎の前に、清水橋という小さな橋が架かっています。橋の下は、整然と区切られた涸れ水路が続いています。
この水路、実は名古屋城三之丸の外堀跡でして、振り向けば東大手庁舎の向かい側に位置する「清水橋街園」と呼ばれる小公園にも、三之丸の石垣がそのまま残されています。かつて名古屋城の敷地がここまであったという証しです。
画像名古屋拘置所前の細い道を右に折れ、しばらく行くと、レンガ造りの三階建て洋風建築が見えてきます。レンガの赤と白い花崗岩とのコントラストも見事な外観、スレート葺きの黒い屋根、西洋建築の象徴でもあるドームが架かった塔屋が、とても印象的です。
名古屋市市政資料館。
大正11(1922)年に名古屋控訴院(今で云う高等裁判所)・地方裁判所・区裁判所庁舎として建てられ、昭和54(1979)年に高等・地方裁判所が移転するまでの長きにわたり、中部地方の司法の中心として存在してきました。全国8ヶ所に設置された控訴院庁舎のうち現存する最古のもので、煉瓦造りとしては最後の大規模近代建築である事などから、国の重要文化財に指定されています。
平成元(1989)年に、名古屋市誕生から今日に至るまでの行政文書や資料を保存・閲覧する公文書館「市政資料館」として生まれ変わりました。また、元が裁判所であった事から、明治憲法下から現在までの、法廷の変遷を紹介する司法展示のコーナーも併設しています。
2年前に訪れた時は〝休館日〟という仕打ちを受けましたが、今日は大丈夫。
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館内に入ってすぐ、中央階段室の華やかさに圧倒されます。
3階まで吹き抜けた高い天井。漆喰で大理石の模様を描く〝マーブル塗り〟という技法を用いた柱や壁。色鮮やかなステンドグラスが彩る壁や天井。
たかが裁判所なのに、どうしてこれほどまで華美にする必要があるのか疑問にさえ感じますが、これが大正レトロモダンというものでございます(笑)
いいですねぇ~。のっけから〝レトロ魂〟ってのをビッシビシ刺激されます。
画像見学順路に従って、3階の第2常設展示室から。
ここはかつて会議室として使われ、長い間、重要な役割を果たしてきた部屋です。内装は幾度か変更が重ねられたのですが、改修工事の際、創建当時の姿に復原されたそうです。
花柄の天津緞通を床に敷き詰め、装飾をふんだんに施した天井にはシャンデリアが。カーテンや壁紙、置かれた調度品の一つ一つに至るまで、忠実に再現されました。
建物全体もそうですが、この部屋だけで重要文化財に指定されているんだそうです。
……何だか……ため息しか出てきませんねぇ……あまりに華美すぎて。こんなんで真剣に会議なんか出来たんでしょうかね。どうにも落ち着かなさすぎて……
続く第3展示室では、かつて名古屋市内にあった洋風建築物の数々を、写真や模型を使って紹介しています。県庁舎や中学校、商工会議所などの公的機関からホテル、呉服店、劇場等に至るまで、西欧で流行した新しい建築装飾を元に、日本固有の建築装飾を創り出そうとした明治大正期の名古屋人気質を見るようです。
残念ながら、戦災で失われたり市街地再開発で取り壊されたりで、現在はほとんど残っていません。もし今も残っていたら、〝名古屋レトロ〟とか銘打って、門司港並に人気が上がっていたでしょうか。
第4~7展示室では、名古屋市の歩みと市政、国際交流について紹介しています。
明治11(1878)年、明治政府による地方制度改革「郡区町村編制法」により、独立行政区〝名古屋区〟としてスタートした名古屋は、明治22(1889)年に発布された地方制度改革第2弾「市制及町村制」により、〝名古屋市〟として生まれ変わります。
(あぁ! 『区裁判所』って、この名古屋区時代の話かぁ!)
市制施行当時の人口が推定16万人。鉄道・港湾の整備とともに商工業都市として順調な発展を遂げてきた名古屋市は、来年で市制120年。明治24(1891)年の濃尾地震、昭和34(1959)年の伊勢湾台風など度重なる自然災害や、市のほとんどが焦土と化した名古屋大空襲から復興を果たし、今ではおよそ224万人を有する日本屈指の大都市へと変貌しました。
それら発展の様子や災害復興の様子、ロサンゼルスやメキシコなど姉妹都市提携を結んだ世界の都市などを、豊富な写真と資料で紹介しています。
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さて、ここまで何度も述べてきたように、ここはかつて裁判所だったのです。
という訳で、第8展示室では明治憲法下での控訴院法廷の様子が、隣の第9展示室では現代の地方裁判所の法廷の様子が再現されています。
こうして見ると、今と昔では随分と違うものなんですねぇ。昔の法廷の何と仰々しい事か。いかにも抑圧的ですね。法壇上には3人の判事・検事・書記の5人が座っていた訳ですが、5人から一斉に睨まれたんじゃ、どんなワルも竦み上がってしまいますよ。
一方、現代の法廷では、判事が3人から1人になりました。訴訟上では当事者の一方であるという考えから、検事は法壇から降りて弁護人と向かい合う位置に着席するようになりました。書記も法壇から降りて、法壇のすぐ隣に座るようになりました。物々しい法冠は廃止され、法服も判事と書記だけが着るようになりました。
これはもうテレビドラマなどでもおなじみの光景ですね。
どちらを見ても思ったのは、「被告人席には立ちたくないなぁ」という事でした。願わくば一生縁遠い場所であって欲しいなぁ、と。
でも、そうも言ってられない事態が、もうすぐそこまで来ているんですよね。
来年から始まる裁判員制度です。
……そこのア~タ、「讃岐屋は何か訴えられるような事したのか?」とか勘ぐったでしょ。冗談じゃない! そんな事してませんよ!!……まだ(笑)
(いやいや、笑い事じゃなくて。「まだ」も何も、そんな事するつもりも、されるつもりも一生ありませんから)
日本でも戦前は、陪審制度という一般国民が裁判に参加する制度がありました。ところが、陪審裁判には控訴が認められていなかった点や多額の費用を要した点などから次第に利用されなくなり、ついに昭和18年に施行停止となり現在に至っています。
では、今回新たに出来た裁判員制度は、この陪審制度の復活なのかというと、そうではないのです。
陪審裁判では、有罪か無罪かを決めるのは陪審員だけで行なわれていましたが、裁判員制度では、裁判員と判事が協議をして決めるのです。ただし、陪審裁判で決めるのは有罪か無罪かだけでしたが、裁判員制度では刑罰まで決めねばなりません。しかも、扱う裁判は刑事事件の中でも一定の重大な犯罪(殺人、強盗致死傷、身代金目的誘拐、放火などなど)に限られています。
……重てぇなぁ~。裁判員に選ばれたら選ばれたで、気が重くなる一方だなや。
そんな裁判員制度についても、ここで紹介・説明されてましたけど……根付くのかねぇ~、今の日本に。
画像1階には留置所があって、独居房が4室、雑居房が1室設えてあります。
……ん? 裁判所に留置所?
いやいや、裁判所だからあっていいのか?
独居房1室と雑居房は中に入る事が出来ます。あまり入りたくないけど(笑) 犯罪者気分を味わいたい方、どうぞ(爆)
あのねぇ、意外と広いんですよ。下手すりゃ、僕の友達のワンルームマンションの部屋より広い(笑) まぁ、物が何もないのと天井が高いからそう思えるんでしょうけど。
窓はお決まりの金網鉄格子付き。水道は付いてるけど、トイレは付いてない。
まぁ、あくまで公判中の控え室みたいなもので、ここで刑に服する訳じゃないから、最低限の設備でいいのか。

この市政資料館、集会や作品展示会などにも利用できるよう、有料で市民に貸し出しています。時には、中央階段室を利用して結婚式なんかも挙げられてるんだとか。そりゃあ厳かだろうねぇ。
また、2階の一角では喫茶店も営業中。見学ついでに、カフェーかミルクホゥル気分で電気ブランなんぞを……て、さすがにアルコール類は置いてないか。
年末年始、月曜日と第3木曜日を除く毎日朝9時から夕方5時まで開館。入館無料。


意外と面白かったりする場所ですよ。

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