絶対に試験に出ない石川県・富山県

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う―――わんっ!!(笑)
にゃははは。これこれ、この風景! この「ザ・兼六園」的な光景! 元はといえば、コイツを直で見たくて今回の旅に出たんですよぉ。そりゃ吠えもしますって(笑)
その割にゃ、あちこち寄り道を楽しんじゃってますけど(爆)
いいぢゃん、いいぢゃん。旅ってそんなもんでしょ?

兼六園は、水戸の「偕楽園」岡山の「後楽園」とともに〝日本三大名園〟として名高い、林泉回遊式の大庭園です。
元々は金沢城の庭として、加賀藩5代藩主・前田綱紀が1676(延宝4)年に造園した「蓮池庭」が始まり。ところが1759(宝暦9)年の金沢大火で「蓮池庭」も大半が焼失。1774(安永3)年に11代藩主・治脩(はるなが)が復興に取り組み、12代藩主・斉広(なりなが)の代には曲水をつくり、各種の石橋を架けるなど、ほぼ今の形が形成され、13代藩主・斉泰の代に一応の完成をみました。「兼六園」という名は、斉広が奥州白河藩主である白河楽翁に命名を依頼したもので、楽翁は中国宋代の詩人・李格非の書いた『洛陽名園記』を引用して〝宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古・水泉・眺望〟の六勝を兼備するという意味で名付けたそうです。
で、兼六園を代表する景観として必ず出てくるのが、この霞ヶ池の畔に立つ「徽軫(ことじ)灯篭」です。形が琴の絃を支える駒(琴柱)に似ている事から名付けられたと云われています。確かにまぁ、言われればそう見えなくもないですね。
ではでは、この徽軫灯篭を起点に、時計回りにぐるりと散策いたしましょう。

画像この時期、まず目に飛び込んでくるのが雪吊りの松。冬の風物詩と申しますか、冬の兼六園を紹介する時には必ずと云うほど出てくる光景です。特に、斉泰が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育て上げた黒松は、園内で最も枝ぶりが良く、〝雪吊りの松〟というと必ずといっていいほど取り上げられる松です。
そもそも北陸地方は雪の多い地域で、時として家の屋根を押し潰してしまうほどの重たい雪が降るんです。そんな雪が降り積もるんですから、木々の方もたまったもんじゃありません。重みに耐えかねて枝がポッキリ行ったり、場合によっては幹そのものが折れてしまう事も。樹齢を重ね、老木ともなればなおさらです。そこで、そんな雪の重みにも耐えられるよう、縄などで予め吊り支えておこうというのが、この雪吊りなのです。
ただまぁ、実用面というだけでなく、幹の天辺から放射状に張られた縄の幾何学的な美しさも、魅力の一つになっていて、コレ目当てで訪れる観光客も後を絶ちません。
かくいう僕がそうですから。
これで薄っすらとでも雪を冠っててくれれば文句ナシだったんですけどねぇ。
朝、ホテルの窓から外を見たら、下のアスファルトが濡れてたんですよ。「やった! 夜中、雪降ったんだ!」と思ってたら、降ったのは雨でした。
……ま、そんなもんッス。

園内をくまなく流れる曲水は辰巳用水の水を引いています。辰巳用水は、3代藩主・利常によって金沢城の防火用水などを確保する目的で、寛永9(1632)年に設置されました。今も昔も変わらず園内に水を運んで、渓流や滝、池泉など美しい庭景を保っています。
この曲水に架かる多くの石橋の中でも、一段と特徴的なのがY字形をした「雁行橋」です。11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列を成して飛んで行く様を象った雁行橋は、石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも云われます。
この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、通行できなくなっています。
残念。
皆さん、ボクは早死にします(笑) もう40ン年も生きちゃってますけど(爆)
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園内の一番奥まった場所には「成巽閣」があります。成巽閣は13代藩主・斉泰が母(てことは12代藩主・斉広の奥方)眞龍院隆子の隠居所として、文久3(1863年)年に建てたものです。建てられた当初は巽御殿と呼ばれていたそうです。金沢城から見て巽(東南)の方角にある事や京都の関白職・鷹司家(隆子の実家)が辰巳殿と呼ばれていた事にちなんで、こうした名前が付けられました。
隆子は、斉泰の造り上げた細やかな心配りに満ちた優しく雅な空間と、四季折々の景観を眺める庭(と呼ぶには、いささか広過ぎの感はいたしますが)に囲まれ、明治3(1870)年に亡くなるまで、ここで過ごしました。後年、県の迎賓館として歴代天皇・宮家をお迎えする役目も果たしましたが、現在は歴史博物館となっている一方、江戸時代末期の大名屋敷を代表するものとして、国の重要文化財に指定されています。
極彩色に彩られた欄間や、小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマン(ガラス)など、加賀百万石・前田家の栄華を誇る建築意匠が方々に散りばめられ、それはそれは優雅としか言いようがありません。

広大な梅林を抜けると、茶室「時雨亭」に着きます。綱紀が最初に築庭した当初から「蓮池御亭(れんちおちん)」として建てられていたものですが、明治の廃藩の折に取り壊されてしまいました。今ある建物は、平成12(2000)年に復元されたものです。
庭越しに全容を望めるかしら、と思ったんですが、周囲を取り囲む木々が邪魔して、残念ながら無理でした。やはりと申しますかね、庭は屋敷から眺めるものであって、庭から屋敷を眺めるものじゃない、と。
時雨亭の脇を抜け、兼六園作庭の中心といわれる瓢池の畔を歩きます。瓢池は池の中央部がくびれ、文字通りヒョウタンの形をしています。
池の水は、霞ヶ池から滝となって流れ込んでいます。「翠滝」と名付けられたこの滝は、高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富、滝音も大きく、目と耳を同時に楽しませてくれます。その荘厳さは他庭には見られない景観で、兼六園の中でも最も勝れた庭景の一つでしょう。
この翠滝の対岸には、園内最古の建物「夕顔亭」が建っています。11代藩主・治脩が庭園復興に乗り出した年に建てられた茶室で、茶席の次の間の袖壁に夕顔の透かしがあるので、この名が付けられました。萱葺きの非常に素朴な造りをしています。
画像瓢池を離れ少し行くと、噴水が上がっています。日本最古のもので、ポンプなどを使わず、水源である霞ヶ池との高低差を利用した自然の水圧で上がっているんだとか。水の高さが3.5mにもなる(霞ヶ池の水位によって変わります)この噴水、かつて金沢城二の丸の居間先に噴水が上がっていたそうですが、これはその試作とされています。二の丸噴水が文久元(1861)年と伝えられていますから、それ以前に出来たという事で……さぁ、いったいいつ出来たものなんでしょうか?
日本庭園に噴水といった組み合わせは大変珍しく――というか、他に例を見ません。試作品とはいえ、噴水を作ろうと思い立ったそのセンスには脱帽です。さすが加賀百万石、考える事が違います。


駆け足でくるり一周してきた訳ですが、今度は春にでもゆっくり観賞したいですね。園内には、ここにしかないという「兼六園菊桜」という桜が咲くそうですよ。何でも一つの花に花びらが300枚以上つき、まさに菊の花のようなんだとか。天然記念物にも指定されている菊桜、開花期は4月下旬から5月上旬と云いますから、ちょうどゴールデンウィークの頃でしょうか。ずいぶんと遅咲きなんですねぇ。桜前線が根室・納沙布岬の先端に到達するのとほぼ同じぐらいじゃないですか。
……そぉかそぉか。そんな時期かぁ。18きっぷは使えない上に、非常に混む時期ですなぁ……

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