坂の上の雲~秋山兄弟と正岡子規

画像堀之内公園からは歩いてもさほどない距離、愛媛県庁・松山地裁を過ぎてすぐの道を左に折れると、全面ガラス貼り、剥き出しのコンクリート、三角形のフォルムが特徴の『坂の上の雲ミュージアム』が見えてきます。
あいにくと坂の上にはありませんし、雲一つない秋晴れの日でしたが(笑)

『坂の上の雲ミュージアム』は、その名が示すとおり司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』の世界を紹介する施設であるとともに、松山市が進めるフィールドミュージアム(屋根のない博物館)構想の根幹を成す施設にもなっています。その為、展示フロアの一部は、このフィールドミュージアムの紹介に割かれています。
小説『坂の上の雲』といえば、帝国陸海軍の重鎮として名を馳せた秋山好古(よしふる)・真之(さねゆき)兄弟と日本を代表する俳人・正岡子規という、松山出身の三人を軸にしながら、明治という激動の時代をひたむきに生きた若者たちの群像を描いた、司馬遼太郎のライフワークとも云える作品です。前半は子規と真之の友情を中心に描かれますが、子規が結核で亡くなってからは(文春文庫版全8巻のうち、第3巻「十七夜」の章。随分早くに逝ってしまわれます)主人公そっちのけで、「明治日本は、日露戦争をいかに戦ったか」に重きが置かれてしまいます。
ミュージアムの方も、その辺はわかってらっしゃるようで、物語の後半部よりも前半部――子規と秋山兄弟の友情物語――に、展示の大半を割いてました。
まぁ、その方がウケがいいのと、親しみやすいってのがあるんでしょうね。

長いスロープを登って、ミュージアムには2階から入ります。展示は、この三角形の建物の縁に沿うようにぐるり巡りながら、2階から4階までの3フロアを占めます(1階は……事務所とか資料保管庫になってるんでしょうね)。
2階は、フィールドミュージアム構想についての紹介フロア。ホール中央に設えられたディスプレイには、松山のまちづくりに関する様々な活動や将来像について紹介したビデオが流されています。といっても、映像シアターのように椅子に座って見る訳じゃなく、フロアにはモニターのみがポツンと。他に何の展示物のないフロアは、良く言えば近未来的。悪く言えば無機質、殺風景。「スペースのムダ」とまでは言いませんが「他に何かなかったのか?」と思ってしまいます。
窓一杯に緑を望む一角は、小説『坂の上の雲』や明治時代に関する書籍・資料・画像が閲覧できるライブラリー・ラウンジになっています。もちろん、ゆっくりお茶を楽しめる喫茶コーナーもあります。
ラウンジと隣り合わせの緩やかなスロープを登り、3階は小説の背景となった明治時代について、資料・映像を交えて解説しています。遠く戦国時代(あるいはそれ以前)から連綿と続いてきた〝領国主義〟が一転して〝天皇中心の単一国家〟となり、今までの〝領民〟という扱いから、初めて〝日本国民〟という意識を植え付けられ、混乱・動揺する一般庶民の様子。そんな事には構ってられず、拙速なまでに近代国家へと変貌して行く明治日本を、年表や資料・映像などを交えて紹介して行きます。
明治の面影を残す看板や錦絵、開国・維新当時の貴重な写真、近代化を急ぐ日本を象徴する紡績などの官営工場の様子など、様々な資料を通して、「小説『坂の上の雲』の舞台となった明治という時代はどんなものであったか」を紹介しています。
もちろん見るだけじゃなく、実際に触る資料もあります。当時流行したステレオスコープ(ステレオカメラで撮影された2枚の写真を立体的に見る機器)や双六などなど。『自由民権双六』なんてのがあって、面白かったですね。「演説」だの「投獄」だの「選挙」だのがあって、上がりが「国会」とか。
そうかと思えば『女中さん双六』なんてのもあります。起床してから御飯支度、掃除、旦那さんへの挨拶に始まって、女学校へ通ったり、裁縫・洗濯などの家事をしながら、夜就寝するまで、奉公人としての一日を双六にしたもの。
当時の子供たちは、こういった双六を通して道徳を学び、社会へ出て行ったり、自由民権運動に身を投じて行ったんでしょうね。

3階から4階へ至るスロープの壁全面に、小説『坂の上の雲』が産経新聞紙上に連載された当時の記事がずらりと展示されています。
4階の小展示室は、少年時代の子規と真之を、数々の遺品や貴重な資料を通して紹介しています。子規と真之が通った学校の成績とか(真之より子規の方が成績が良かったんですね)、自由民権運動にかぶれた子規の演説原稿とか、とにかく「エッ、こんなものが!?」という物がズラリ並びます。
センターフロアである大展示室には、帝国大学受験を目指し上京した子規と真之が、やがてそれぞれの道を歩き出した青年時代から、結核で子規が亡くなるまで、変わらずに続いた友情について紹介されています。
上京当時に住んでいた愛媛県の寮には、子規や真之の他にも夏目漱石が住んでいたり、通った帝国大学予備門(のちの旧制一高)の同級には『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉がいたりして、友好の輪を広げていきます。
子規は帝大文学部に進学、新聞記者となりますが、真之は経済苦から帝大進学を断念。既に陸軍士官になっていた兄・好古を頼って海軍兵学校に入学します(陸軍兵学校ではなく海軍にしたのは、単純に兄が陸軍だったから)。
後年、子規は新聞記者から俳句の世界へと進み、近代文学の発展に大きな足跡を残します。真之は帝国海軍の作戦参謀として、近代戦術の確立に卓越した才能を発揮します。
子規と真之――文学者と軍人という、進む道は違えど終生続く友情を誓い合った二人。互いを認め、尊敬し合う仲。二人の姿を通して、「明治って何だろうな?」よりも「友情って何だろうな?」を考えさせられました。


さぁ、ここからは松山の街並を散策しつつ、秋山兄弟や子規が残した足跡をぐるり巡って行きたいと思います。
犬も歩けば茫然自失。
意外と市内のあちこちに残されてるもんなんですよ、これが。

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