夕陽を追いかけて~雲州18万6千石の御城下

昨夜の雨が嘘のように爽やかな朝です。
松江の朝は、宍道湖のシジミ漁で明けるのですが、土日祝日と毎週水曜日は資源保護の為に休漁。して、今日は水曜日――残念。
観光客にとって、松江の朝はとても早いです。主だった観光施設は、朝8時半には開場します――て、たかだか30分しか違いませんが、この30分が結構重要だったり、最後まで尾を引いたりするんですよね。
慶長12(1607)年、堀尾義晴がまちづくりに着手した松江は、2007年の今年、ちょうど開府400年にあたります。
400年前に思いを馳せながら、山陰の水都・松江市内を巡りたいと思います。


松江大橋の袂にある宿から松江城までは、およそ1㎞ほど。松江市内を巡るバス「ぐるっと松江レイクライン」(1回200円、1日乗車券は500円)に乗ってもよかったんですが、歩いても15分ほどって話だったんで、朝の散歩がてら歩いて行く事に。

画像「千鳥城」の別名を持つ松江城は、慶長16(1611)年の完成以来、堀尾氏3代・京極氏1代・松平氏10代の居城として、明治を迎えるまでの260余年にわたり、水の都・松江の治世を支えてきました。
五層六階の天守閣は、全国に現存する12天守のうち、山陰で唯一現存するもの。大きさ(平面規模)では2番目、高さでは3番目、古さでは6番目になります。最上階の屋根に鎮座する鯱鉾は、木造では日本最大のものです。
同時期に築城された姫路城や彦根城のような白壁ではなく、黒く厚い雨覆板で覆われた下見板張り造りになっています。これは、まだまだ周囲の旧豊臣勢からの侵攻に備えなくてはならず、より実戦的な築城を迫られたからです。その証拠に、上から下を狙えるように角度の付いた袋狭間(銃眼)や、軽量で防炎効果のある桐の階段を用いる等、〝戦う天守閣〟独特の特徴が方々に見られます。
それにしても。
何処のお城に行っても思う事なんですが、なんで最後は松平氏に行き着くんでしょう? そんなに徳川・松平家が偉いのか!?――て、偉いんだからしょうがないよね。

画像二ノ丸跡には、ロシア宮殿風(らしいのですが)の白い洋館が建っています。「興雲閣」と名付けられたこの建物は、明治天皇を山陰地方にお迎えしようという目的で、明治36(1903)年に建てられました。
奇しくも翌年に日露戦争が勃発するなどで天皇行幸は実現しませんでしたが、明治40(1907)年に皇太子時代の大正天皇が、山陰巡啓の折に宿泊。以降、迎賓館や展覧会場として松江市民に愛されてきました。
昭和48(1973)年からは、内部を改装し、「松江郷土館」として開館。江戸末期から昭和にかけての貴重な文化資料が展示されています。
石垣・天守などの近世封建時代の眺望の中に、文明開化の象徴たる洋館が建つというのは、何とも不思議な感じです。
それにしても。
ロシア風を模して建てた翌年、そのロシアと戦争になる――何とも不思議な、因縁めいたものを感じます。


北の門を抜け、護国神社を左手に見ながら坂道を降りて行くと、途中に茶店を見つけました。
そういえば、松江のもう一つの名物に「ぼてぼて茶」というものがあります。
不昧公こと松江藩11代藩主・松平治郷(間違っても「不味」と書いてはいけません。それじゃ「ふまい公」じゃなくて「まずい公」になっちゃいますから)は、茶道にも精通していて、自らも〝不昧流〟という流派を作りました。
形式・格式にこだわらず、とにかく茶の湯を楽しむ――それが不昧流。
「ぼてぼて茶」もその一つです。
画像画像














お茶の花を煮出した番茶を、卵を混ぜるように茶筅でカシャカシャと泡立てます。
(既にちょっと泡立っちゃってるのは、お店の方にご教示願う時に少しかき混ぜたから。出された当初は、ちっとも泡立ってません)
やがてお茶全体がメレンゲのように白く泡立ち、泡立てる手も重くなり、音もカシャカシャからボテボテと言い出したら頃合。
泡立てる時、ボテボテと音がするから「ぼてぼて茶」。
泡立ったお茶の中に赤飯や煮豆、漬物などを入れ、箸を使わず飲むようにして頂きます。いわば不昧流お茶漬けですね。
……不昧公、正直お行儀悪いです。
店によってまちまちですが、だいたい500円前後という手頃な値段で、この不思議な味と体験が誰でも味わえます。
その名前も、飲み方も、食感も(食感て言うのか?)何もかもが楽しい体験でした。抹茶ならまだしも、番茶があんなに泡立つのも初めて知ったし。洗剤でも入ってんじゃねぇか?てくらいクリーミーな泡立ち。
「〝ぼてぼて茶〟……アハハ、おンもしれェ~!!」
店を出てからも、しばらくニヤけてしまいました。
傍から見たら「あの人、大丈夫?」でしょうけど(笑)

フン! ほっといちくり!!

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