呉・大和ミュージアム

ク~レクレタコラ~♪
(大まつがい……)

冬の『18きっぷ』最終日、朝も早よから電車に乗り込み、どこへ向かったかと申しますと、明治から続く日本屈指の軍港・呉であります。
実はですね、社内でのムダ話の中で、呉にある『大和ミュージアム』の事が話題に上りまして、「一度は行っといた方がいい」と頑なに主張する方がおられまして(広島の方なんですけどね)、「そぉいやぁ、行った事ねぇなぁ~。行ってみっかなぁ~」な気持ちになりまして。
で、今回めでたく(?)〝呉・日帰り旅〟と相なりました。


JR呉駅前から、屋根付き遊歩道を海へ向かってトコトコと。案内表示に従い『ゆめタウン』を突っ切って、右手に見える潜水艦(実物だそうですよ)に導かれながら5分ほど歩きますと、いわゆる普通の博物館然とした建物に到着します。
こちらが大和ミュージアム――正式名称『呉市海事歴史科学館』です。
ミュージアムの外には戦艦「陸奥」の主砲身・錨・スクリューが展示されていて、ナルホドこれから見る展示物に期待を持たせてくれます。
500円の入館料を払い、展示室に入りますと……
画像

出たッ! そしてデカっ!!

このミュージアムの大目玉、10分の1スケールの戦艦「大和」模型であります。
全長26.3m――いや、わかってたけどデカいわ……。フロアいっぱいいっぱいだもの。10分の1でこの大きさって事は、実物はこの10倍の大きさって事で(当たり前じゃ!)。
う~ん、そりゃ当時の人が、山だの島だのと見間違えたってのもわかるわ。
展示室はA~Dの4つのコーナーに分かれています。

Aコーナーは、呉の歴史展示室。
幕末の呉開港から海軍鎮守府の設置に始まり、造船技術の発達の歴史、日清・日露戦争から第1次世界大戦(日独戦争)、そして太平洋戦争、戦後復興へと。
呉の歴史は、日本近代化の歴史そのものです。そして、数多くの写真や映像・遺品・遺書を通じて、平和の大切さを訴えるコーナーでもあります。
もちろん、戦艦「大和」の技術・生涯を紹介するコーナーも当然あります。
戦艦「大和」は、アメリカの〝量〟的優位に日本が〝質〟で対抗しようとした艦で、当時の日本が持っていた建艦技術の結晶といえるものでした。
とはいえ。
やはり〝質〟より〝量〟と申しますか、航空力優位の時代に大砲巨艦主義を持ち込もうとした軍部の浅はかさと申しますか。
結局「大和」は、ミッドウェー作戦支援(行き着く前に作戦失敗が報じられ、そのまま引き返しています)、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦の三度の出撃をしただけで、自慢の46㎝砲が火を吹く事もなく、これといった戦果も挙げられず、やがて悲運の沖縄特攻を迎えます。
思うに。
「大和」は、世に出てくるのが遅すぎた艦だったんじゃないでしょうか。もっと早い時期に出て来ていれば、戦局は、日本は、世界はどう変わっていたでしょう。
「大和」の建艦技術は造船だけに止まらず、製鋼や光学技術の分野など多岐にわたり、戦後日本の復興と高度成長を支えた事を思えば、何とも皮肉な話ですね。
時代に乗り遅れた「大和」。でも、「大和」なくしては現在の日本の科学技術は誕生し得なかった――そう考えると、「大和」は世に出るべくして出た艦だったのか否か、よくわからなくなってしまいます。

画像「大和」模型を挟んで反対側にあるBコーナーは、大型資料展示室になっています。
ここには、零戦や人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」などの実物が展示されています。
特潜艇と言ったって、結局、潜水艦の艦首に爆弾を積んで敵艦に特攻を仕掛けるんですから。〝人間魚雷〟とはよく名付けたもんだ――名付ける方もどうかしてるけど。
いったいどこの誰が、こんな惨いものを発案し、GOサインを出したのか。
零戦にしても、ジュラルミン製の米軍機に、どうして木と紙で出来た飛行機で対抗しようとしたのか。いくら機動性能を向上させる為とはいえ、一撃で燃え堕ちるような機体になってしまいました。実戦投入当初こそアメリカ軍を恐怖に陥れた零戦ですが、最終的に取らざるを得なかった道が〝神風特攻〟。
「戦争は人を狂わせる」とは誰の言葉だったか。当時の話を聞く度、そして、こうして実物を目の当たりにする度、「二度と戦争を起こしてはいけない」と思うのですが……
「回天」にまつわる悲劇は、去年公開された映画『出口のない海』で描かれてますが、それ以外にも人知れず葬られていった悲惨な出来事は、いくつもあるようです。

ミュージアム2階部分の回廊を、Bコーナーの展示物や「大和」模型を見ながら上がります。
エスカレーターで3階へ。
画像Cコーナーは、船を中心とした科学の原理を体験・体感を通して判りやすく紹介する「船をつくる技術」展示室です。
「船はどうして沈まないの?」
〝浮力〟というものに対する素朴な疑問を、子供たちにもわかりやすく紹介しています。
科学館としての面目躍如。
このコーナーは子供たちに大人気のようで、操船シミュレーターや浮力体験コーナーに人だかりが出来ていました。




Dコーナーは、海洋・造船技術の未来への展望を紹介するコーナー。
未来の船と申しますと……
画像

そうじゃねぇだろっ!?

〝未来の船コーナー〟が、どこをどう取り違えたか〝松本零士コーナー〟になっていました。
いや、入口でロボット『アナライザー』がお出迎えしてくれた時から、イヤ~な予感はしてたんですけどね。
これは何? 「ヤマトつながり」って事?
誰かが言ってましたね。
「こりゃあオマケだな」
はい、オマケはオマケとして楽しみましょう。
『宇宙戦艦ヤマト』や『キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』など、松本零士の作品世界を紹介しています。ミニシアターでは「未来の火星」を題材にしたCGアニメが上映されていました。
ん~……わからんでもないけどさぁ。
いくら名誉館長だからって、ここは『松本零士記念館』じゃない訳でしょ? ワンフロア・ワンコーナーを割いてまで展示する必要性をまったく感じないんだけどさぁ、僕は。
一応、ロケットエンジンや宇宙ステーションの模型など、宇宙開発へと発展していった科学技術を紹介する展示物もあるにはあるんだけど……申し訳程度。
だったら、こっちをもっと前面に押し出すとか、他にやりようがあるだろうに。
「未来への展望」だったら、一昔前まで話題になっていた超伝導推進船とか高々速船とか(どれも資金難で、実験船の域を超えられなかったけど)、いろいろあると思うんだけどなぁ~。
何だか最後の最後でミソが付いた感じ。
がっくし。

企画展示室では、戦後のイギリス連邦軍進駐時代の呉について紹介した、特別展が催されていました。
終戦後すぐはアメリカ軍が進駐していたものの、半年後には、オーストラリア・ニュージーランド・インド・イギリス本国などの英連邦軍に、治安維持と武装解除の業務が引き継がれました(内政はGHQ一本)。以後、中四国地域は英連邦軍の統制下に置かれます。
日本の進駐軍って、アメリカだけじゃなかったんだ。へ~え。
して、呉の街中をターバン巻いたインド兵が闊歩してたってかい。まさしくインド人もビックリ!(古過ぎてわかんねって)だった訳ですな。
英連邦軍の進駐は、昭和26年(1951年)のサンフランシスコ講和条約締結まで続きました。もっともイギリスは、インド独立運動などが起こり、早く撤退したい御家事情があったようですが。
それでも、軍関係機関への雇用やイギリス企業による造船などが、戦後の呉復興の一助になっていた事は否定できない事実です。もし、進駐軍によるテコ入れがなかったら、戦後の日本は混乱の度を深め、復興も大幅に遅れ、今日の日本の姿はなかったかもしれません。
あと、知られざる事実。
米軍が日本本土への上陸作戦を決定した頃、英連邦軍でも上陸作戦が計画されていました。ところが、日本軍にこっ酷くやられていたオーストラリア軍は、イギリスからの「英連邦軍として」という提案を蹴り、単独での上陸・占領に固執します。イギリスはオーストラリアの説得に時間を要し、結果、上陸作戦の検討中に日本は無条件降伏。
このイギリス対オーストラリアのゴタゴタが後々まで尾を引き、進駐軍派遣もアメリカに遅れを取る羽目に。
もうひとつ、知られざる事実。
連合軍4ヶ国(米・英・中・ソ)による日本の分割占領政策。
これは、日本への降伏勧告を決めたポツダム会談の席上、降伏後の日本の扱いについて定められた占領計画の第2段階に明記されています。
曰く〝北海道と東北はソ連が、関東・中部(三重県を含む)・北陸(福井県を除く)はアメリカが、四国(のちに名古屋方面に転換)は中華民国が、中国と九州はイギリスが占領統治する事とし、東京23区は米・中・英・ソの4ヶ国、福井を含む近畿圏は米・中2ヶ国の共同管理下に置く〟計画。日本降伏後、速やかに実行する手筈が整えられていました。
しかし、実際には日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した事から、トルーマン米大統領の命令により、占領計画は第2段階以降が白紙撤回。日本はアメリカによる単独占領、朝鮮半島はアメリカとソ連による暫定分割占領を定めた計画第1段階が、占領計画のすべてとなりました。
(この「朝鮮半島の米ソ分割占領」が、後の朝鮮戦争や南北分断を生み出したのは、何とも皮肉ですねぇ)
その背景には様々な事が複雑に絡み合っていたようで。
北海道・東北に進駐予定だったソ連、計画の第3段階では「占領後1年で撤退」と決めてあったにもかかわらず、釧路と留萌を結ぶ北海道の北半分の併合を主張するも、トルーマン米大統領やチャーチル英首相に猛反対された為に断念。
実のところ、当時のソ連には北海道占領までの軍事的余裕がなかったとされています。当のスターリンにしてみれば「ちょっと言ってみただけさ」的な主張でしたが、トルーマンやチャーチルにしてみれば「スターリンは危ねぇぞ。社会主義国には気をつけろ!」という考えに傾倒、これが「第1段階での打ち切り」に拍車をかけたとも云われています。
占領政策に参画する予定だった中国国民党軍は、毛沢東率いる共産党軍との内戦でそれどころではなくなり、挙句に台湾まで敗走する事に。
また、植民地支配していたインドシナを日本に奪われていたフランスも、占領軍派遣を主張したものの、対日戦への功績がない事から門前払い。ドゴール大統領の面目丸潰れ――もっとも、フランスの目は東欧に向けられていたので、日本の占領どころじゃなかったのが実情でしょうけど。
結局、「天皇中心だった日本では、分割統治より天皇を通した統治の方が簡易である」という重光葵外相の主張と、「苦労して戦って占領したのに、なんで他の国にくれてやらにゃならんのさ」というアメリカの思惑が相まって、この分割政策は実行には移されませんでした。
世が世なら、日本は分割統治され、北海道のド真ん中に第2のベルリンの壁が出来てたり、米ソ対立の煽りを受けて、北朝鮮と韓国のように日本人同士の戦争が起きてたり、占領統治の名の下に虐殺や奴隷化などの「復讐」が横行していたかもしれなかったとか。
何つーか……ですな。


画像さて。
「大和ミュージアム」に入る前に見た潜水艦。
今年の4月に、海上自衛隊による掃海活動を紹介する「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」がオープンするそうです。
展示される実物の潜水艦は、退官した「あきしお」。史料館とは連絡通路で結ばれ、艦内も自由に見学できるようにするとか。
この新博物館の目玉になるのは間違いないですね。

ん~、その頃にまた来ようか。
となると、春か夏の『18きっぷ』だな。
(あら、予告しちゃったな)

この記事へのコメント

INO
2007年03月11日 21:08
軍港・呉を訪問され、有難うございます。私は広島の生まれですが、呉は母の実家があり、且つ造船には思い入れがあります。我々、団塊のおじさん3名でブログをやっていますが、このたび呉と造船をテーマにした記事をUPしたので、ご覧になってコメント頂ければ有り難いです。ブログ名「団塊の広場」
http://blog.so-net.ne.jp/kobe_jigen/2007-03-07/trackback
讃岐屋
2007年03月12日 02:53
INOさん、コメント&TBありがとうございます。
残してくださったアドレスですが、どうやら直接には移動できないようですので、TBから寄らせていただきます。

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