有馬よいとこ、一度はおいで

JR三田駅から出たすぐ脇に、神戸鉄道の三田駅があります。そこから新開地行きに乗って有馬口まで。有馬口から有馬温泉行きに乗り換えて――乗ったと思ったらすぐに終点・有馬温泉に到着です。
駅を出ましたら……おほっ、出てる出てる。至る所から湯船……もとい、湯気が。
(こりゃ大泉サンの別府ネタかい?)
駅のすぐ隣から温泉旅館がズラリと並び、浴衣姿の温泉客が通りを歩く。
うんうん、風情やねぇ。
神鉄の駅舎は普通のビルなので、風情どこ吹く風ですが。


画像ここ有馬温泉は、太閤・豊臣秀吉がこよなく愛した温泉でして。
何せ、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った半年後には、ここへ湯治にやって来て、以来九度も訪れてるんですから。
それどころか、「湯山御殿」なんて温泉付き別荘を構えたり、奥方・ねねの別邸(現在は跡地に念仏寺が建っています)なんかも建てちゃってますから。
そんな訳ですから、駅から温泉街の中心へ向かって行くと、『太閤橋』なんて橋が架かってまして、その傍らにある『湯けむり広場』には太閤殿下の銅像まであります。どういう訳か賽銭まみれでしたけど(笑) しかも一円玉ばっかり(爆)
一方、観光総合案内所の前には、赤い欄干の『ねね橋』というのが架かってまして、橋の袂には立ち姿のねね様の銅像があります。この銅像というのがまた良くしたもので、ねね様の視線の先には、有馬川を挟んで太閤殿下がどっしりと座しておられ、これまたコチラを見ておられます。
夫婦善哉。お餅たっぷり、甘さ控えめ――何のこっちゃ。
さて。
有馬温泉には、「坊」の付く温泉旅館が多いです。例えば『奥の坊』『中の坊』『角の坊』『でくの坊』……これは、温泉寺(薬師寺)が営んだ12の宿坊(僧侶の宿泊施設)に由来するものだそうです。
もちろん、これらの旅館のお風呂をいただく事も可能ですが、もっと安くて気軽に入れる『金の湯』『銀の湯』という二つの外湯がありますので、今回はそちらを。
ホテル・旅館の豪華なお風呂もいいですけどね、たまには素朴な外湯もいいじゃないですか。

画像観光案内所から、温泉街ではなく六甲川沿いの坂道を行きます。万年橋を渡り、さらに続く急な坂道を登って行くと、『有馬切手文化博物館』という資料館があります。ここは、明治4年(1871年)に日本の郵便事業がスタートしてから現在に至るまでの切手を網羅した、日本初の本格的な切手常設博物館です。
白壁も鮮やかな土蔵造りの建物の前には、あの懐かしい赤ポストと青ポストが並んでいます。
ん? 青ポスト?
僕も初めて知りましたがね、青ポストというのは速達用のポストで、ちゃんと現存していたそうですよ。オブジェとして勝手に青く塗った訳ではないそうです。
そして、あの郵便マーク。
郵便事業発足当時(マーク制定は発足翌年)は、日の丸に横棒一本を加えた「丸に一引き」マークだったそうです。現在のTの字に横棒一本を加えた、おなじみのマーク(郵政省の前身である逓信省の「テ」の字をデザイン化したもの)は、明治20年(1887年)から使われるようになったんだそうです。
博物館の入口に掲げてあったマーク、「何だろう?」と思っていたら、そういう経緯があったんですね。
入館料500円を払って、中に入ります。パンフと一緒に『日本切手カタログ』なんて物までいただきました。見学に訪れたのが僕だけだったせいか、学芸員の方が付きっきりで解説してくれます。
ここには、郵政事業開始と同時に、日本で初めて発行された切手『竜文切手(龍の模様が入り、額面が「銭○○文」とあるから、こう呼ばれる)』『竜銭切手(こちらは額面が「○○銭」とあるから)』から、現在発行されている普通切手・記念切手に至るまで、ありとあらゆる珍しい切手類が展示されています。
竜文切手――そういえば、博物館入口の壁面タイルが、このデザインでしたね。
活版技術が入ってくるまで、原版は一枚一枚手彫りだったそうですよ。だから、模様が違う切手が何枚もあるそうです。中には龍の手が片方ないのとか。
いい加減な仕事だ(笑)
活版技術が導入されてからは均一化され、紋様も緻密で精巧になり、今では世界でも一、二を争う美しい切手になったそうです。
そういえば昔「古切手でワクチンを送ろう」なんて運動がありましたが(今でもあるの?)、世界の切手収集家がこぞって集めるような切手じゃなかったら、何千枚集まったって1本のワクチンにも化けないよね。
いろいろ珍しい切手もありました。
明治・大正時代の切手、中国や南洋などの占領地で発行された切手(「支那」や「パラオ」なんて文字があります)、戦時中の物資不足下で発行された切手(紙質も印刷も、かなり粗悪です)、思いっきり「軍事」と書かれた軍用切手などなど。
切手の歴史、日本の郵政事業の歴史だけじゃなく、日本近代化の歴史、日清・日露から太平洋戦争にまで及ぶ激動の時代を感じ取る事ができ、これは切手収集の趣味はなくとも、一見の価値はありますね。
いやいや、こんなところにこんな博物館があったんですねぇ~。

画像さて。秀吉の湯山御殿。
その存在は、今まで噂・伝説の域を出ませんでしたが、阪神淡路大震災で壊れた極楽寺の庫裏を再建しようとしたところ……出てきたんですねぇ。湯山御殿のものと思われる瓦や茶器。それに湯船や庭園の遺構まで。
出土したのは、岩風呂遺構と蒸し風呂遺構。そして、御殿の曲輪を示す石垣群。
これらの遺構の先には、「有馬の七泉源」の一つである『極楽泉源』が。
もう間違いありません。
ここには確かに太閤さんの湯殿が建っていたんです。
それを取り壊させたのは徳川家康。
秀吉の有馬温泉に対する執着ぶりと、秀吉の痕跡をすべて消し去ろうとした、家康の執拗なまでの敵愾心が、つぶさに見て取れます。
……秀吉はん、露天風呂やサウナまで楽しんでたんですねぇ。さすがに岩盤浴はないか(笑)
これらの遺構、『太閤の湯殿館』という建物を作って、その中に出土したありのままの姿で保存展示しています。庭園の方は埋設保存し、その上に往時の姿を再現してます。
入館料は200円ですが、外湯『金の湯』『銀の湯』の入浴券が付いた共通券を、1,000円で販売しています。これだと『金の湯』が250円引き、『銀の湯』が150円引きで入れるだけじゃなく、1年間有効なので、また訪れた時に使えるという、とてもお得なチケットです。どうせなら、是非こちらを。

画像温泉街の一番奥、『銀の湯』から少し上がった高台にある炭酸泉源公園の中に、有馬温泉ならではの元湯『炭酸泉源』があります。
祠に囲まれた湯釜の底に溜まった源泉が見えますが、衛生上それを飲む事は出来ません。その代わり、すぐ隣にある蛇口をひねると炭酸泉が。
他の元湯が90℃近くと高温なのに、この炭酸泉は約20℃。冷泉なんですね。泉質もズバリ単純二酸化炭素泉。
一口含むと……ナルホド炭酸泉。ピリッとした炭酸独特の刺激がスッと抜け、かすかに塩味が広がります。
その昔は、この温泉水に砂糖を直接加えて、サイダーとして飲用されていたそうで。有馬温泉のお土産として名高い『炭酸せんべい』や『有馬サイダー』は、今でもこの温泉水を使って製造されているそうです。
という訳で、『有馬サイダー』飲んでみました。
330ml入り1本250円。わりとお高め。
原材料は炭酸飲料なのに砂糖、酸味料(防腐剤ですね)、香料のみ――そらぁそうだ、使ってる水が天然の炭酸水なんだから。
ラベルの大砲マークが何とも勇壮です。これは、炭酸泉を瓶に汲んで蓋をすると、すぐに蓋が飛んでしまい「鉄砲のようだ。鉄砲水だ」と呼んだ事から付けられたマークとか。鉄砲が大砲になっちゃったのね。デフォルメし過ぎ――つか、炭酸なんだから、完全密封しなかったらどうなるかぐらいわかるだろうに。まぁ昔の人たちですから、炭酸なんて物にもあまり馴染みがなかった事は、容易に想像つきますが。
泡立ちは一瞬でスッと抜けますが、炭酸の刺激は他のサイダーよりも少しキツめに感じます。『三○矢サイダー』や『ア○ヒサイダー』などに比べて甘さもクドくなく、「ナルホド、これが日本最初のサイダーかぁ……」と感心してしまいます。

さぁ、ノドがシュワシュワしたところで、今度は全身シュワシュワといきましょう(笑)
この炭酸泉源を元湯にした外湯『銀の湯』へと参ります。

ザブぅ―――ン!!

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