トリオ de のらり旅 ―不戦の誓い・廣島―

大雨と落雷のお陰で、大幅に遅れた電車が広島駅に着いたのは、夕方の4時を回っていました。その頃には、あの大雨もすっかり上がっちゃいましたね。
駅前からは、市電で平和記念公園へ向かいます。西広島までの市内区間は150円の均一料金です。
その名もズバリ、原爆ドーム前で下車。すぐ目の前に、原爆ドームが建っています。
画像老朽・風化による崩壊の危険性から、幾度目かの改修工事を終え、少しはシャンとしたように見えます。今はぐるりと柵で囲まれています。
K、実はこの原爆ドームには一度来たいと思っていたそう。写真などでは見た事はあるが、一度実物を生で見てみたいと。
そんな事とは露知らず、何の気なしに予定に組んでたワタクシ。「広島行って見るものったら、原爆ドームくらいしかないでしょう」程度にしか考えてなかったのです。
「じゃあ、原爆ドームをバックに一枚撮っとくか?」と尋ねると、KもYも「ここではそんな気にはなれない」と。
「ナルホド、そういう考えもあるのか……」という事で、記録としてワタクシめがパチリ。

毎度思う事なのですが、この原爆ドーム、思ったより大きくありません。もっと威圧的なまでに大きいイメージを持ちがちですが、意外や小じんまりとしています。
いえ、元の形(産業振興館)がどの程度で、それがどれだけ破壊されたのか、想像でしか語れませんが、何となくもっと大きなものを想像しがちなのは、原爆というものに対する畏怖の念が加味されているからでしょうか。
物議を起こしていたグラウンド・ゼロ(爆心地)のマンション建設ですが、もうすっかり出来上がっていました。ここへ住む事になる人、いったいどういう気持ちで暮らす事になるんでしょう。
(いや、そこへ住むのがどうこうという訳じゃないんですが……)


原爆っ子の像や死没者慰霊碑への参拝を済ませ、平和記念資料館へ。
こういった施設の常として、午後4時半は閉館ギリギリかなぁ~などと思っていたら、8月は夜7時まで開館してたんですね(朝8時半オープンは通年変わらず)。お陰で、じっくり見る事ができました。
展示室へは東館から、観覧料50円を払って入ります。
鉄骨だけとなってしまった原爆ドーム最上階の模型が目を惹きます。
展示物は、日清・日露の時代から呉という軍港を抱え、軍都として栄えた広島の歴史を紹介し、原爆が投下された1945年8月6日午前8時15分で止まった時計の展示から、一挙に原爆がもたらした悲劇を物語っていきます。
一瞬にして廃墟と化してしまった市街地。爆風に吹き飛ばされたガラス片が今も残るコンクリートの壁。ビデオ映像などを交えて紹介されています。
東館2階では被爆を免れた市民生活の一変ぶりを、3階では今現在の世界の核事情を紹介しています。
大きな地球儀に、ミサイルを模した矢が何本も突き刺さっているのを見ると、誰もが「このままじゃいけない」と思うはずです――中にはそう思わない人もいるようですが。
渡り廊下を渡って、西館に入ります。西館は、被爆者の遺品や被爆による爪痕が展示の大部分を占めます。
熱線で人影だけが残った石段。放射能混じりの〝黒い雨〟の跡が残る壁。爆風で大きくねじ曲がった鉄扉。高熱で炭化してしまった弁当箱や溶解したガラス瓶。などなど。
思わず目を背けたくなるものばかりで、子供の頃に見ていたら、間違いなく夜中にうなされた事でしょう。何度見ても、あまりいい気持ちのものではありません。だからといって、目を背けっ放しでいいとは思いませんが。
しかしながら。残念な事に。
中には「これだけ威力があるものを、どうしてもっと使わないのか」という感想を持つ人もいる訳です。
ハイ、頼まれもしないのに〝世界の警察〟を気取り、「力こそ正義」と信じて止まない某国の若者です。
そういった人たちが、心から「核は悪魔の道具」と思い、核廃絶に動かない限り、この世界から
核兵器はなくならないんでしょうね。
ガンダムの世界でもホイホイ使ってましたし。
「兵器は使われてこその兵器である。持つ事に意味があるのではなく、使ってこそ意味がある」という考えが、人々の頭の中から消えない限りは――


平和記念資料館は、近々展示内容の変更を計画しているそうです。というのも、貴重な遺品展示が西館に集中してしまっているので、西館を見ずに帰ってしまう人がいる為だとか。
原爆が投下されたという〝事実〟だけを見て、そこで起こった〝現実〟を見ずに帰ってしまう――そうさせてしまう展示は、どこか何かが違うんじゃないか。
そういう結論らしいですね。
まぁそれよりも、図版や書籍はともかく、Tシャツとかで原爆を商売にしてしまう事に、僕は抵抗を覚えるんですがね。原爆ドームのプラモデルなんて、論外というか買う人の気が知れないんですけど(あるんですよ。冗談のような話ですけど)。
帰り際、何かしら赤いものを身に纏い、市民球場に集う老若男女を見た時、「日本は平和やね」と三人納得してしまいました。そういえば今日は、広島対巨人の試合がある日でしたね。




列車ダイヤは、まだまだ遅れております。
72分遅れ。宮島口を出た時より、さらに遅れております。JR西日本、もはや遅れを取り戻そうという気はないようです。
もう時刻表なんかアテになりません。ホームの掲示板は定刻を表示してます。表示だけ見ると、あくまでダイヤどおりの運行なので、かえって混乱を招いてます。
とにかく来た電車に乗るより他ありません。
乗った電車が……西条まで快速運転のはずが、何を考えてるのか各駅に変更。しかも、岡山まで運転のはずが、糸崎までで打ち切り。
この対応は何なんですか? JR西日本さん。
仕方なく三原で下車。糸崎よりは街として開けてるかな、という単純な理由で。
お陰で、晩飯代わりの駅弁を購入する事ができました。
三原名物の「たこめし」は売り切れてたので「あなごめし」。今日はあなご三昧です。
画像画像














こちら、白焼きと刻みあなごの二色弁当。
そうは言っても所詮は駅弁ですから、あまり期待はしてなかったんですが……
ビックリ!!
白焼きのなんとホクホクしてる事か。実においしいです。
電車の中で食べようと店先のレンジで暖めたものの、着いた電車はギュウギュウ詰めで、空いた席に座れたのは倉敷に着いてから。すっかり冷めてしまい、結局食べれたのは岡山駅の待合室で。
それなのに、このふっくら加減はどうしたことでしょう。完敗です。あなごの大勝利です。
ただ……口直しの生姜が2種類も(はじかみと刻み生姜)入っているのは、何か理由があるんでしょうか? どっちか一つでいいなぁ。その代わりに、骨せんべいでも入れてくれた方がまだ嬉しいなぁ。


結局、最後の最後まで遅れは挽回されず、その遅れはマリンライナーとその接続便にも影響を及ぼしました。
高松駅から終発の普通列車に乗り継ぎ、家の最寄り駅に着いたのは、タイムアップぎりぎりの23時59分。とりあえず、1日分で帰って来れてよかった。





家に帰ったら、シャワーを浴び、そのまますぐに寝てしまった事は報告するまでもありません。

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