みちのくぅ~のらりぃ~旅ぃ~♪

(別に演歌歌手願望はないんですが……)
わたくし讃岐屋、「仙台へ行ったなら、ここは行っときたいっ!」て場所がいくつかありまして……
んで、行ってきました。
私めが住んでおりました10年前に比べ、街の様相は大きく変わりました。特に、何もなかった駅東口は、すっかり拓けちゃいましたもの。当時は、〝駅東口〟と云うよりは〝駅裏〟と呼んだ方がいいくらい何もなくて、ギリギリ『ヨドバシカメラ』があったくらいですかね(場所も規模も全然違いましたけど)。それが今じゃすっかり活気づいて、下手すりゃ西口より賑わってますよ――といっても、それは駅の周囲だけで、一区画も離れたら、昔のままの姿でしたけどね。

さ。まずは腹ごしらえ――て、何時に出てんでしょ(笑)
仙台市内から車に乗りまして、国道286号線を南へ下る事およそ1時間半。笹谷ICから山形自動車道に乗りまして、次の関沢ICで降ります。
「別に一区間なら高速乗らんでもええやん」と思われるかもしれませんが、他に道がないので仕方ないのです――いや、あるにはあるのですが、冬の間は通行止めですし、通れてもウネウネの峠道ですので、あまり一般的じゃないのです。時間の割に距離は進まないし。なんで、一区間でも高速を使うのが普通なのです。わずか数㎞に200円も払うのはバカらしいとは思われるでしょうが、そういった道路事情がありますので。
関沢ICから山形方面へ4~5分行きますと、目指すお店、『蝋燭(あかし)庵』があります。
画像一応、入口手前に看板が出てるんですが、ボーっとしてると行過ぎてしまうほどわかりづらいです。
でも、ここの蕎麦が絶品なのです。
お隣には和ロウソク作りの工場がありまして、旅館などに卸す鍋用の固形燃料や絵付けロウソク、野球の滑り止めに使うロジンバッグなどを作っています。駐車場はその奥に。
店先でも絵付けの和ロウソクを販売してますので、席が空くまでの合間などに見て愉しむ事ができます。
昔ながらの囲炉裏がデンと構える玄関から、テーブル席か畳敷きの小上がりに通されますが、オススメは断然小上がりです。それも窓際の長机の席。
と申しますのも、すぐそばを渓流が流れてまして、春には春の、夏には夏の渓谷美を眺めながら、おいしい蕎麦をいただけるんですねぇ。まさに目で、耳で、そして舌で愉しむ事が出来る店なんです。
注文の品が運ばれてくるのを、しばし眼前の渓谷美に目を奪われつつ、蕎麦茶でも呑みながら待つ事にいたしましょう。
メニューの中で人気があるのは「にしんそば」ですが、私めが断然オススメするのは「天婦羅夫婦盛り」であります。
画像これは蕎麦切りと麦切りが半々に盛られてまして、故に〝夫婦盛り〟と名付けられてます。蕎麦独特の味と、麦切りのツルッとした喉ごしの両方を味わえるなんざ、贅の極みじゃありませんか。
「蕎麦と麦で、どうして夫婦なんだ」とか「見合い結婚か恋愛結婚か」とか、そんな事はどうでもいいんですよ。要はおいしければ。
天婦羅の方は、定番の海老・茄子・白身魚(鱚ですな)・大葉などの他に、その季節ならではの物が一品。この日は「春」という事で、ふきのとうの天婦羅でございました。
箸休めの蕪漬も、蕎麦の味を一層引き立たせてくれます。
最後は蕎麦湯で〆まして、満腹感と満足感で店を後にします。
大変おいしゅうございました。

さて。
元の道を引き返しまして、車を一路、宮城県南の街・白石市へと走らせます。
賢明なる読者さまなら、もうおわかりですね。つか、もう呆れてますね。
〝讃岐屋→CUEファン→白石〟と来れば、行き先は……そうです! 伝説の雅楽師たちのルーツ・白石城です!!
……CUEファン道(つか、マニア道)ここに極まれり、ですな。
笑わば笑え。

画像この白石の地は、かつて伊達家の支配地域でしたが、豊臣秀吉が没収。蒲生氏・上杉氏が統治しましたが、関ヶ原合戦直前の慶長5(1600)年に伊達政宗が攻略。再び伊達領になるや、正宗の腹臣・片倉小十郎景綱が蒲生氏の時代に築かれた白石城に大改修を施し、居城。以降、明治維新に至るまでの260余年の間、片倉家がこの地を治めました。
しかしながら、この260余年という年月は、決して平坦なものではなかったのです。
元和元(1615)年、徳川幕府より出された一国一城令(諸大名に対 し、居城以外の城を破却しろという命令)以降も、白石城は仙台青葉城とともに仙台藩の城として許可されていましたが、地震等の天災や火事に幾度となく見舞われ、その再建費用は藩の財政を逼迫させるものでした。
戊辰戦争の最中、反官軍・反薩長を打ち出した奥羽越列藩同盟が結ばたのも、この白石城でした。結局、会津若松城の落城と会津藩の敗北を受けて、列藩同盟は瓦解。さしたる戦闘も行なわれぬまま、明治新政府に明渡され、その後、北海道開拓費用捻出の為、明治7(1874)年に民間払い下げとなり解体。戦国から明治にかけての激動の歴史を歩み続けた白石城も、その幕を閉じました。
今建っている三階櫓・大手門・櫓廻り土塀は、平成7(1995)年に復元されたものです。

では、大手門(一ノ門・二ノ門)をくぐって本丸の中へ。
本丸跡は広大な公園になっていて、当時の面影は、場内に掲げられた案内板で推察するよりありません。白石城に天守閣と呼べる物はなく、本丸西北に建つ大櫓(三階櫓)がその用を果たしました。
日本古来の建築様式に基づき、あえて木造で復元されましたが、中はガランドウです。
貴重な展示物は、城外の歴史探訪ミュージアム2階に展示されています。
片倉家に代々伝わる甲冑・刀剣・火縄銃の他、伊達政宗直筆の書状(達筆すぎて読めにゃい……)、白石城と城下町の模様を復元したジオラマ模型などと並んで、当時の城主の食卓の模様が再現されてました。一汁三菜・野菜中心の食事は質素とも思えますが、その中身は尾頭付きの魚であったり蒸し鮑であったり、やはり殿様らしい豪華な食卓でした。今、私たちが食べている物とそれほど変わらないものでしたね。
殿様がそうだという事は、一般庶民の食事は推して知るべしでしょうな。
ミュージアム3階には3Dシアターがあります。大坂夏の陣で、かの真田幸村軍と激闘を繰り広げ、敵味方から「鬼の小十郎」と怖れられた、二代目小十郎重綱(のちに重長と改名)にまつわるエピソードを、200インチの立体ハイビジョンシアターで見る事が出来る訳ですが……上映に間に合いませんでした (T_T)
最終が15時って早すぎるよ……

さて。明治を迎えて、ここ白石から北海道登別一帯に開拓移住した片倉家主従。その一部の人たちが未開の原野を切り開き、開拓したのが、今の札幌市白石区一帯でした。
そういった訳で、〝白き戦士たち〟の面影を探したのですが(笑)、やはりというか影も形もありませんでした(爆)
唯一、白石城すぐ横の神社で、本殿に祀られていた鏡を見て「ぉぉおおぉぉ」と思ったくらいでしょうか。
……わざわざ仙台くんだりまで行って、何してんでしょ(笑)


そういった訳で、仙台まで行っておきながら、まったく仙台に触れる事無く、仙台を離れる事となりました今回ののらり旅、『雅楽戦隊ホワイトストーンズ~最終章 呪われし神話の行方~』DVD発売記念「古の地・白石を巡る旅」、お開きであります。

……いいのかなぁ、こんなんで?



【追記】
蝋燭庵さん、2009年11月3日をもちまして、惜しまれながら閉店いたしました。
寄る年波には勝てない、というのが理由だそうです。
はぁ……また旨い蕎麦屋をイチから探すのか……

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