天下の名城・彦根城

長浜の街をすっかり堪能した私め、気づけば時計は3時をとうに回っていました。
お蔭で、多賀大社まで足を伸ばそうと思っていた計画、バッサリとカットする事に。
多賀大社といえば、〝国生み〟の大業を成し遂げた夫婦神、伊邪那岐大神(イザナギノミコト)伊邪那美大神(イザナミノミコト)を祀る、「縁結びの神様」としても有名。計画の甘さというか、時間の都合で、そこに参拝できなかったという事で……
かあちゃん。オイラの婚期、また遅れるよ(笑)
これ以上遅れてどうすんの


画像さて。
彦根といえば、何を差置いても外せないのが、国宝・彦根城。
彦根駅から「駅前お城通り」と名付けられた道を真っ直ぐ約15分も歩けば、三層三階の華やかな天守閣が聳える彦根城に到着します。城見ニストの讃岐屋、長浜城に続いては、彦根藩35万石の象徴・彦根城に参っております。
琵琶湖の水を二重の濠に引き、唐破風・千鳥破風など幾つもの屋根様式を巧みに組み合わせた天守が特徴の彦根城は、元和8(1622)年に完成。初代藩主井伊直政から、明治維新・廃藩置県を迎える14代直憲に至るまで代々井伊家の居城として、260年もの長きにわたり、ただの一度も領主替えや城を攻められた事もなく、今なお築城当時の姿を残す天下の名城です。
ちなみに、アメリカとの間に修好通商条約を結ぶなど日本を開国に導き、「桜田門外の変」で攘夷派の凶刃に斃れた大老・井伊直弼は、13代目の藩主になります。

近江一帯から織田色・豊臣色を完全に払拭したいという徳川家康の思惑から、ここ彦根城には、近隣の城から多くの建物が移築されました。天守は京極高次の大津城から、西の丸三重櫓は浅井長政の小谷城から、天秤櫓は豊臣秀吉の長浜城から、太鼓門は石田三成の佐和山城からといったように、各所の城から運び込んで移築されたと伝えられています。さながら〝お城の住宅展示場〟〝お城の明治村〟ですね。
そんな訳ですから、城内を歩けば、時代劇でもおなじみのいろんなアングルに出くわします。それほどまでに、天守から隅櫓・石垣に至るまで、城郭としてのまとまった美しさが往時のままに現存する、全国でも数少ない城なのです。
開場時間は朝8時半から夕方はナント5時半まで。入場料500円。
表門脇に建つ彦根城博物館は、彦根藩の政庁であった表御殿を復元したもので、井伊家に伝わる多数の美術工芸品や古文書はもとより、能舞台や藩主が日常生活を営んだ奥向きなど建物そのものが博物館として楽しめるのが面白いですね。
開館時間は朝8時半から夕方5時まで。入館料500円。彦根城との共通入場券は900円。

画像城の北側に位置する黒門へ向かう途中、内濠と中濠に囲まれた一角に、井伊家旧下屋敷の庭園だった「玄宮園」があります。
中国・唐の玄宗皇帝の離宮に倣って名付けられた玄宮園は、4代藩主直興が延宝5(1677)年に造営した池泉回遊式の大名庭園で、その造りに近江八景を取り入れた事から〝八景園〟とも言われています。
池泉回遊式といえば、にわか讃岐人の僕なんかはすぐに栗林公園を思い浮かべてしまうんですが、確かに栗林公園のミニチュア版と言えなくもないです。そう思うのは僕だけじゃないらしく、他の観光客の中からも「高松の栗林公園はどうたらこうたら」という声を聞きました。
築山の一角に建てられた鳳翔台は、藩主が客人をもてなす為の客殿です。ここの茶室から眺める庭園が一番の絶景といわれています。確かにいわれるだけある景色ですが、もう少し遅い時期なら芝生も生え揃い、桜も咲き、息を呑むような美しさなんでしょうね。紅梅白梅は咲き誇ってましたが、桜にはチョット早かったです。
開園時間は朝8時半から夕方5時まで。入園料は彦根城入場料に含まれています。

この彦根には、お城の他にも面白い見所がたくさんありそうですよ。
例えば――
城の西手にある彦根西中学校は、映画『青い山脈』の舞台となった学校。どんな映画だったかは、お父さんお母さんに訊いてみよう(「レンタルショップに走れ」とは言わない辺りが……)。
中濠に架かる京橋からは、江戸町屋風の観光スポット「夢京橋キャッスルロード」が、ノスタルジックな雰囲気を漂わせています。彦根のお土産はコチラで。
街外れの長久寺というお寺には、怪談『番町皿屋敷』で有名なお菊さんの墓があり、お菊さんが割った皿も現存するとか。肝だめしに是非!(笑)
――そんな中で、ある意味面白い場所をひとつ御紹介。
画像彦根城へ向かう道すがら、「中村商家保存館」という字が目に入りました。城好きと同時に古民家好きの讃岐屋、フラフラと惹かれて行ってしまいました。
彦根信金とサークルKの間の道を少し行くと、白壁のいかにも商家らしい造りの建物が見えてきました。が、正直言って「えぇ~っ!? ここぉ~?」という感じ。どうみても一般公開されてる施設には見えません。「でもまぁ、内子での前例もあるし……」と気を取り直し、いざ入ろうとしたら……
鍵かかってるさ……
あれぇ? 休館日かぁ? いや、そんなはずはないなぁ。途中で見てきた看板で、しっかり確認してきたもんなぁ。
見ると、玄関先に「裏のインターホンでお呼びください」の貼り紙。
よっぽど人気ないんかなぁ……
裏手に回ってインターホンで(このインターホンも一瞬探しました。だって裏に回ったら空地なんだもの)「見学させてもらっていいですか?」と声をかけると、年輩の御婦人が鍵を開けて下さいました。
この商家保存館、江戸寛永年間からの造り酒屋でした。明治に入り醸造業から販売業に転向、物資不足に陥る昭和25年に廃業するまでの300有余年、彦根を代表する商人の家として栄え――そんな痕跡はどこにも残ってません。あれぇ~? 聞けば、酒造りに関するものはすべて処分してしまったとか。残っているのは、わずか数本の酒瓶とラベル。えぇ~?
じゃあ、何を保存して、何を展示してんでしょう。
館内へ入って一番に目を惹くのが、高さ50㎝にもなろうかという大きな阿弥陀像。江戸延宝年間に京都西本願寺から下附されたもので、僧侶でもない在家の家に、これほどの仏像が下附されるのは極めて異例で、多くの説法集が残されている事から、当時から浄土真宗の内道場として、酒造と共にこの中村屋を支えてきたのではないかと伝えられているそうです。
……あのさぁ、こうじゃない訳でしょう? 僕の見たかった物は。

先ほど取り次いで頂いた年輩の御婦人(中村酒造最後の店主の奥様)の案内で、かつて醸造に使われていた隣の棟へ。ここにも造り酒屋の痕跡は何一つなく。
中村家は江戸元禄時代に、宇多源氏の流れを汲む近江の武将・建部氏の庶流と縁組。その縁で、江戸初期の書家・建部伝内の書蹟が多く残されています。
この建部伝内という人、その力強い筆遣いと勇壮な書体を徳川家康が大そう気に入り、以来、徳川幕府の公用書体(公用書類には必ず用いなければならない書体。まぁ、活字でいうゴシック体とか明朝体とかいう感じですかね)として用いられる事になった著名な書家です。当然、伝内流は徳川御家流となり、歴代将軍をはじめ全国の諸大名から幕府役人に至るまで、こぞって習得に励んだ書流となりました。
ところが、この流祖伝内の遺墨は極めて少なく、中でも書流の基本たる〝秘伝書〟については、当初は口伝で後の師範が書にまとめたとか諸説巻き起こり、伝内自筆の物はその存在の有無について知られる事はありませんでした。その伝内自筆の秘伝書が、ここ中村家に残されていて、その存在が初めて世に知れ渡ったのです。『必殺仕事人』中村主人の中村家とは訳が違う(笑)
そういった経緯で、この中村家からは和様唐様の書道を嗜む店主が多く現われ、その折々の遺品を残しています。また、商家でありながら武家の血を継いでいるという事、伝内流宗家に近い家という事で、多くの武人が訪れては、その書蹟を残して行っています。

そういった訳で、昔の近江商人の隆盛や暮らしぶりを訪ねて行くと、肩透かしを喰らって土俵下まで転がり落ちて、両肩脱臼して全場所休場なんて目に遭ってしまいますが、時には思わぬ金星を拾う事もあるものです。
期待してたモノはひとっっっっつも見れなかったけど、図らずも大変貴重な品々を拝見する事ができました。



さて、この施設。開館時期が非常に微妙かつ不規則です。

     期間は3月16日~6月15日と7月16日~11月15日までの火・木・土・日曜日と祝日
     (要は祝日と重ならない月・水・金は休館)。
     時間は午後0時30分~4時。
     入館料は200円(この値段もビミョー)

「あんた、絶対に道楽でやってんだろう」と言いたくなるようなスケジュール。ちょっとフラッと立ち寄って……なんて絶対に出来ない施設です。そうそう開いてないし、見学するにはわざわざ開けてもらわなきゃならない。
ん~、何なんでしょう?



あ、僕ですか? 単なる偶然ですよ。偶然がもたらした産物です。
でも、これがあるから「のらり旅」はやめられないんだよなぁ~。

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