国宝・名古屋城

画像市役所本庁舎の斜向かい、ドデンと広がる名城公園の中心に位置するのが、尾張徳川家の居城・名古屋城であります。
慶長14年(1609年)、徳川家康が加藤清正・前田利光ら北国・西国の諸大名に普請を命じ、3年後の慶長17年にほぼ完成を見た平城です。明治を迎え、取り壊しも取り沙汰されましたが、地元政財界の献身的な運動もあって、今もなお当時の姿を残しています。
とはいえ、太平洋戦争末期・名古屋空襲でほとんどの建物を焼失。現在の天守閣は、昭和34年に再建されたものです。

入場料500円を払って、正門(といっても、元は江戸城の蓮池御門を明治43年に移築したもの。戦災で焼失するも、天守閣と同時期に再建)をくぐると、西南隅櫓(未申櫓)越しに大天守閣の荘厳な姿が見えます。
この未申櫓、明治24年(1891年)の濃尾大地震の折に石垣もろとも崩壊。当時管理していた宮内省によって再建されました。なので、代々徳川家の城でありながら、鬼瓦には菊の御紋がくっきりと浮かんでいます。
一方、空襲や震災の被害を奇跡的にくぐり抜けてきた東南隅櫓(辰巳櫓)は、築城以来の姿をそのままに残しており、鬼瓦にも葵の紋がしっかりと残っています。
さぁ、表ニ之門をくぐって、本丸へと歩を進めましょう。
やけに広い前庭の向こうに、小天主閣と金鯱の輝き眩い大天守閣が待ち構えます。
横のエレベーターは、見なかった事に・・・m(_ _)m
石垣が高いと、お土産品のアノ置物に見えてくるのはナゼなんでしょう?(笑)
画像
やけに広い前庭――前庭じゃないんです。
ここにはかつて、京都二条城・二之丸御殿と並び、日本を代表する書院造の建築物である本丸御殿が建っていました。
初代尾張藩主・徳川義直の住居として建てられた本丸御殿は、その後、3代将軍・徳川家光が京都上洛の際の宿として、明治に在っては陸軍名古屋鎮台府を経て、名古屋離宮として用いられてきました。昭和6年から一般に公開されましたが、名古屋空襲で天守閣と共に焼失。以来、再建される事なく現在に至るまで、遺構をさらすのみとなっています。
築城400年を迎える2010年を目標に、本丸御殿の復元運動が活発に行なわれています。近い将来、昔ながらの荘厳な姿を皆さんの前にお披露目する事になるかもしれません。
(追記:名古屋市は2006年度予算案に、基本設計費6,700万円を計上。いよいよですな)

画像さて、名古屋城といえば金の鯱です。
さすがに天守閣の屋根によじ登る訳にはいきませんが(僕、石川五右衛門じゃありませんので)、大天守1階に同規模の模型が展示してありますので、そちらをじっくりお楽しみください(笑)

この名古屋城、現在は本丸と二之丸庭園、内堀が現存しています。内堀の半分は空掘になっていて、鯉は泳いでいませんでしたが、鹿の群れが闊歩してました(笑)
市役所や県庁・県警本部などが立ち並ぶ官庁街も、かつては三之丸が存在していた場所でした。それを取り囲んでいた外堀は、官庁街外周にある大通り(その名も「外堀通り」)の辺りにありました。それを物語るように、付近には確かに石垣と外堀の一部、堀にかかっていた橋などが残されていました。
お城というのは、かくも広大な土地を有していたんですねぇ。


名古屋市民が世界に誇る名古屋城――誇りに思うのも納得です。
高松・玉藻城の天守閣も、4年後の平成22年(2010年)に復元工事に着手するべく、調査活動が行われてますが、復元された折には、高松市民の誇りとなるんでしょうか……

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  • 尾張名古屋は城でモツ

    Excerpt: 別にお城でモツ鍋食おうってんじゃないですよ(笑) え~……久しぶりの名古屋です。そして、これまた久しぶりの深夜バス&ネットカフェです。 今回の旅は友人と二人旅。僕は2年ぶり3回目の名古屋(といって.. Weblog: 讃岐屋が行くわよっ☆ racked: 2008-02-09 17:12