嗚呼、大正浪漫 ―内子―

大洲から特急でほんの一駅、およそ10分で内子に到着します。
内子は、江戸から明治にかけて和紙と木蝋で栄えた街で、宇和や大洲と同じように白壁の街並が続きますが、商家が軒を連ねるという他の街にはない特徴があります。
駅舎も町のイメージを意識して土蔵風の造りになっています。駅前広場には、昭和45年に退役するまで内子線を走っていたC12型蒸気機関車が展示されています。
ずっと曇っていた空模様も、ここへきてようやく陽が差すようになってきました。

画像駅から歩いて10分あまり、本通りから一本脇道にそれたところに、愛媛県に現存する唯一の芝居小屋『内子座』があります。大正5年(1916年)、大正天皇即位を祝して建てられ、町民娯楽の場としての歴史を刻んできました。現在も貸ホールとして、芝居やコンサートが催されています。
場内は升席で仕切られ、歌舞伎劇場の特色である花道が大舞台まで続き、その大舞台の中央には回り舞台の機構が残されています。
舞台の下・奈落には、その回り舞台を人力で動かす装置があります。ドリフみたいにチャチャチャチャンチャカチャンチャン♪なんてお気楽に回せるようなシロモノじゃありませんよ。一人二人じゃ動きません。何人何十人と力を合わせてやっと動くようなシロモノです。まさに縁の下の力持ち。一つの芝居を成功に導くには、そういった人たちの力も必要なんですね。
二階席の座敷には、芝居興行の資料室になっています。興行プログラムや切符、勧進元の控え帳簿(いわゆる「勧進帳」)などが展示されています。
こうしてみると、歌舞伎や文楽、時には落語や映画などが演じられ、当時の人々の娯楽・心の糧となっていた事がよくわかります。
ただ……周囲を民家に囲まれ、すぐ目と鼻の先まで隣家が迫るという残念な立地環境。どうしても琴平の金丸座と比較してしまうのですが、ここで今、歌舞伎興行を行なうのは一苦労だろうなぁ、と。こう前庭が狭くちゃ、お練り興行も前口上も出来ないよなぁ。う~ん、残念。

画像内子座から八日市・護国の街並へ続く道の途中、一軒の昔ながらの商家が残されています。ここが歴史民俗資料館『商いと暮らし博物館』です。
大正10年(1921年)頃の薬屋の生活を、当時の道具類や人形で再現されています。店先では、この店の主人が店番をし、蔵では奉公人たちが忙しなく働きます。在庫部屋では、丁稚の一人が独立目指してこっそり勉強中で(でも、ちっともはかどらない様子)、二階の奥座敷では、隠居した大旦那が暢気に囲碁など打っています。
この人形、人が近づくとしゃべります。動きます。歩き回ります。化けて出ます。当時の情景がリアルに迫ってきます。
何だか花登匡の世界みたいです。『どてらい奴』です。猛やんです。
(わかる人にしかわからんなぁ……)

画像本通りをまっすぐ行き、伊予銀行の手前で左に折れると、白壁が連なる町家の街並が続きます。木蝋(ハゼの実の油で作った和ろうそく)で財を成した、内子随一の豪商・芳我家(本家・分家)を中心に、漆喰壁の家々が緩やかな坂沿いに並んでいます。
大洲でもそうだったのですが、町家の保存とともに、そこに住む方は、そこで普通に暮らしてらっしゃる訳ですから、展示公開されてるものだと思ってうっかり入ってしまうと、家の人にムスッとされながら戸をピシャッと閉められますので御注意を。公開されている家には、「御自由にお入り下さい」という看板がありますので、それ以外の家に入ると家宅侵入で訴えられますから(笑)
芳我家の分家・上芳我邸では、当時の暮らしや木蝋生産の様子が見学できます。本家の本芳我邸は、現在改修工事中で入れませんでした。
町家保存地区に着いたのは夕刻でしたが、朝靄立ち込める中を訪れるのも、また風情があっていいのかもしれません。

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