讃岐屋のらり旅 2005・夏 ―福山篇・その1―

画像≪小雪ぃ あンちゃん 福山です≫


――て、福山雅治とは全然関係ないんですけど。
(そして、今さら「ひとつ屋根の下で」って古すぎ!)
福山という街は、広島方面へ旅する時、いつも疑問に思っていた場所でした。
「駅のホームから見える、あのお城のような石垣は何?」
で、その疑問を解決する為、行って参りました。
高松からは瀬戸大橋を渡り、岡山から山陽線を乗り継いで2時間あまりといったところでしょうか。

……え~、謹んで御報告申し上げます。「お城のような」ではなく「お城」でしたぁ(笑)
福山城。徳川家康の従兄弟筋にあたる水野勝成が元和5(1619)年に城を築いてから明治6年に廃城になるまで、水野氏5代・松平氏1代・阿部氏10代の居城として、備後福山藩10万石の藩政の中心として鎮座まします城郭にございます。
僕ァびっくりしましたね。「オメェ、近すぎンじゃねぇか」と云わんばかりの立地条件。駅北口を出たら、もうそこには石垣がぐるりと取り囲み、松の陰から鏡櫓と天守閣が聳え立ってるんですから。
では、五重六階からなる天守閣――福山城博物館から参りましょう。入館料200円。
入った所が地下1階。ここでは福山城の模型や、歴代藩主の甲冑・武具などと共に、福山城・福山藩の歴史について紹介されてます。先に藩祖・水野勝成が家康の従兄弟筋と述べましたが、家系図を見てさらに驚き! 勝成の妹があの〝虎退治(シカじゃないですよ)〟で有名な加藤清正と結婚していて、その娘が家康の子・頼宣と結婚して紀州松平家の祖となってるんです。もぉね、頭の中こんがらがって来ますよ。血族だろうが親族だろうがお構いなしなんですね。まぁ、まだ戦国の名残りが残ってますから、「結婚」というものを通して、結束を固め、自らの支配基盤を強固なものにしていったんでしょうね。
1階では、「日本の名城めぐり」と題した特別展が催されていました。いわゆるパネル展ですね。何処ででもやってそうな展示でした。城郭マニアの方、是非どうぞ。興味のない方は、スッ飛ばしてどうぞ(笑)
2階は阿部家、3階は水野家、それぞれの重宝を展示。歴代藩主の書画であったり、愛用品であったり、武具であったり。まさに文武両道を常とした、江戸時代の武将の姿を思い起こさせます。
4階と中4階は、今度は時代をぐっと遡って、原始時代から中世までの出土品が紹介されてます。土器・石器に始まり、奈良・平安期の寺院跡から出た古瓦から、御朱印船貿易時代の中国の古銭・陶磁器に至るまで、幅広く紹介されてます。
ん~……確かに観光施設ではないですねぇ。天守閣の建築様式や構造を紹介する事もなく、ひたすらその歴史にスポットを当てた展示は、まさに歴史学習の為にあるといっても過言ではないでしょう。唯一観光スポットと言えるのは最上階から見る福山の街並みくらいなもんです。「いっちょ勉強してやるかぁ」くらいの気構えで、覚悟して参りましょう。
それにしても……暑い! こういった場所ですから空調といった空調もなく、何台かの扇風機がブンブン唸ってるだけ。受付で団扇を借りてなきゃ、即刻退散してたトコでしょう。

さて、この福山城というところ、京都伏見城から移築してきた建物が多いです。本丸の正門である筋鉄御門、伏見櫓(現在修復工事中)、月見櫓、湯殿――これらは皆、勝成の築城に合わせて、徳川二代将軍・秀忠のお声がかりで、伏見城から移築したものといわれてます。
……なんだい。これじゃ伏見城博物館って云った方が良くねぇか?


……おいおい、いくら何でもクサし過ぎじゃねぇか? 福山市民の皆さん、ゴメンナサイ。悪気はないです。
そして、福山城だけにページ割き過ぎ。


まだまだ続きますけど、よござんすね? だってまだお城しか紹介してねぇもん(笑)

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