冬の但馬路・のらり旅 ―第2夜―

≪姫路城で〝暴れん坊将軍〟ごっこ≫


行き当たりばったりの旅もいいけど、どうせならあれこれ下調べしてった方が、少しは楽しめるってもんだ。てな訳で、パソコンで目ぼしいホームページを検索してみる。
城崎といったら志賀直哉。足りない脳みそでも、それ位はイメージ出来る。だから、それにまつわる場所を何ヶ所か――あら、文学館なんてのがあるのね。温泉街の至る所に歌碑なんかもあるし。ちょっと高尚に文学なんぞに親しんでみよっか。
お、ロープウェイなんてあるのね。これでお山のテッペンまで登って、街を見下ろそうって訳ね。晴れてれば天橋立の方まで望めるとか。
ん? 定休日案内? え~と、何々……ゑ!?

あちこちお休みじゃん!!

外湯は何ヵ所かお休みだし、ロープウェイも美術館も定休日だ。
去年の萩行きといい、どぉ~も出鼻をくじかれますなぁ~。城崎を訪れる予定の皆さん、木曜日は避けましょう。
てな訳で、真夜中だというのに、『駅すぱあと』駆使して行程修正……おし! 姫路での時間伸ばそう。んで、姫路城で〝暴れん坊将軍〟ごっこするんだい(笑)


朝6時半、近所の駅から出発。高松駅で乗り換えて、6時45分発・岡山行き快速マリンライナー8号に。
……爆睡しちまいました。
天気もパッとしないし、夜中にゴチャゴチャやっちゃったし、朝も早かったし。
いや、旅行ってそんなもんでしょ? 乗ってから降りるまでずっと窓にしがみついて、流れる景色を寸分逃さず見てる人、僕は見た事がない。たいてい寝てるか呑んでるか、何か読んでるか聴いてるかでしょ。旅行だってんで、はしゃいでる子供だって、途中で飽きるでしょうよ。
途中で何度か目が覚めたけど、「あぁ、橋渡ってんなぁ……」くらいなもんで。
7時44分、岡山着。
折しも世間様は通勤通学のラッシュアワー。そして……冷える。
少しでも暖を取りたくて、乗り継ぎ時間を利用して、月見そばにありつく。ところが、これがまた笑っちゃうくらい温い。そして笑っちゃうくらいマズい。卵の味にツユが負けるってのはどうよ。
たいして腹も落ち着かず、ちっとも暖まりもしないまま、8時22分の姫路行き普通列車に乗車。電車通学生と一緒にガタゴト揺られながら、9時44分、姫路に到着。
駅を出た途端、視線の先にデン!と姫路城が。
いいよねぇ~、立派な天守閣が残ってるお城のある街に住んでる人って。それだけで〝おらが故郷の誇り〟って、胸張って言えるもの。石垣オか残ってない城址公園とか、立派な濠や石垣のわりに小じんまりとし過ぎる天守閣しかないお城なんかとは、全然別格だもの。
駅からまっすぐに歩く事、およそ15分。大手門をくぐって、いよいよ世界文化遺産・国宝 姫路城と御対面でありまする~。


画像姫路城――またの名を〝白鷺城〟。大小の天守閣群を中心としたその城構えが、鷺が大きく翼を広げたように見える事から、この名が付いたという。秀吉が西国遠征の拠点とし、以来、豊臣家・徳川幕府の重鎮が城主を務めた――なぁんて話は、この際どうでもいい話で。
いやぁ~……広い。だだっ広い。大手門くぐったら、どっかの小学校のグランド並の前庭(三の丸広場と申します)。大手門くぐっても、天守閣はまだ向こう。だだっ広いにも程がある。
遊歩道沿いに50mほど行った案内所で、入場料600円を払って、いよいよ本丸・大天守へ――行かないで、入ってすぐを左に折れて西の丸へ。
百間廊下とも呼ばれる渡櫓を、文字通りずんずん渡って行く。ここには長局の名のとおり、四畳半ほどの板張りの部屋が長屋のように並んでいて、当時はそこに侍女が何人も控えていた訳です。
で、この渡櫓の突き当たり、化粧櫓と呼ばれる処に、意外な人物がおられました。〝大坂夏の陣・悲劇の姫君〟千姫様であります。
千姫といえば、徳川二代将軍・秀忠の長女(て事は家康の孫娘)で、豊臣秀頼に嫁いだ事で知られています。その間、豊臣方から人質扱いされ不自由な暮らしをしたとか、淀君からいびられ続けたとか諸説ありますが、大坂夏の陣以後の話ってあまり聞きません。実は、家康の忠臣・本多忠政の息子である忠刻の元に嫁ぎ、ここ姫路城で二人の娘・一人の息子に囲まれ、何不自由なく幸せに暮らしたそうです。その証拠(?)といってはアレですが、千姫様、化粧櫓の一室で優雅に貝合わせなんぞをしておられました。
(後に、その息子を幼くして亡くし、世継に恵まれないまま夫とも死別、やがて出家するという、やはり〝悲劇の姫君〟ではあったのですが)
どうです。知らなかったでしょう? 僕もここへ来て初めて知りましたもの。つまり、ここ西の丸は、姫路城の〝大奥〟だった訳ですね。
西の丸を突き抜けまして、二の丸跡を通り過ぎますと、いよいよ時代劇でおなじみのアングルが続々と登場します。
大小の門をくぐり抜けまして、大天守と三つの小天守が折り重なるように連なるその陣容を見上げますれば……ゴメンなさい、どうしても

江戸城本丸にしか見えません。

あのテッペンには、上様がおられます。


……残念。いません。時代劇の見過ぎです。
(僕、彦根城へ行っても、おそらく同じコメントをします)
5層7階建ての大天守の中に入りますれば、これでもかってくらい急な階段を上りながら、数々の展示品を見て回る。甲冑・書画などもそうなのですが、僕が注目したのは紋瓦と呼ばれる歴代城主の家紋入りの瓦。鬼瓦や軒丸瓦に、築城・増改築・修繕を行なった城主の家紋が彫られてる訳ですが、関ヶ原合戦後の城主となった池田家の蝶の御紋はもとより、豊臣家の桐の御紋あり、松平家の葵の御紋ありと、さすが南北朝時代から続くだけあって、その家紋を見るだけでも歴史の深みを感じずにはいられません。しかも、それらが展示物だけじゃなく、現存する建造物のそこかしこに見られるってんだから。
姫路城を訪れる方、その辺も気をつけて見て下さい。こういった楽しみ方もあるんだから。

さて、『播州皿屋敷』で有名な(あの「一枚……二枚……う~ら~め~し~や~」の怪談『番町皿屋敷』の元ネタだそうな)、お菊さんの井戸なんかも城内にあるのですが、如何せん時間に限りがあります。こっちは11時8分の電車に乗らなきゃならんのだから。
いささか駆け足ではありましたが、姫路駅へと取って返したのであります。


う~ん……1時間じゃ短かすぎたなぁ~……。
いずれ日を改めて、じっくり見に来ましょう。

この記事へのコメント

りーまんとらべらー
2005年02月01日 18:29
なるほど・・・詳細なレポートをありがとうございます。
ワタクシ、旅日記は相当書いておりますが、こんな詳細なメモは残せないや・・・

あ、上様といえば、暴れん坊の上様が姫路城をバックにしておられましたな。
讃岐屋
2005年02月02日 11:45
この日は上様はお休みでした。御城下でも、貧乏旗本の三男坊は見つけられませんでした……て、いつもはいるのか?
姫路を訪れた際には、探してみて下さい。つーか、基本的にいるのは、姫路じゃなくて江戸の街ですから。

でもでも、松山城には坊ちゃんとマドンナがいらっしゃいました。

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