讃岐屋が行くわよっ☆

アクセスカウンタ

zoom RSS 男ぱんつ 女ぱんつ (2)

<<   作成日時 : 2012/09/04 02:19   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

男ぱんつ≠フ次は女ぱんつ≠フ番。
――ホントはこっちが書きたかった(笑)

え〜……女性の皆さん、率直にお尋ねしますが、下着を見られて恥ずかしいと思うようになったのは、いつ頃からでしょう?
……いやいやいや! 違う違う違う違う違う!!
誰もアナタの、うれしはずかしアハハウフフな話を聞きたい訳じゃありませんっ。
ワタクシが言ってんのは、歴史的かつ一般論での話ですよ。一・般・論!
「いやん、このスケベ!」とか言ってんじゃないの!!


日本の女性下着の歴史を調べて行くと、必ずと言っていいほどブチ当たるのが、大正12(1923)年の関東大震災と昭和7(1932)年の白木屋デパート火災。これらの事件を境に、日本の女性は西洋式の下着――いわゆるパンツを穿くようになった、と世間的には説かれています。

明治・大正までは、和装が主流でした。まぁ、ドレスやスカートなどの洋装を身にまとった女性もいるにはいましたが、そういった方々はごく限られた、それこそ貴族社会に生きる御婦人方で、一般社会の女性たちは、まだまだ着物で生活をしていました。
で、その頃の女性下着はというと、襦袢――いわゆる腰巻。赤い布(いや、赤かどうかは知りませんが)を巻きスカートのようにクルッと腰に巻いて、それでオシマイ。その下はスッポンポン(笑)
洋装の女性たちは、裾が腿の途中くらいまである、いわゆるズロースを穿いていましたが、そういう女性たちも24時間365日洋装でいる訳ではなく、また、陰部を覆い隠す形に慣れていないのもあって、家に帰ればすぐに脱いでいたという話もあります。中には、ドレスであっても襦袢を着用していた女性もいたんだとか。
て事はですよ、ドレスで着飾り、ツンとすました貴婦人も、裾をまくったらスッポンポン(笑)なんて事もあった訳ですね。
そんなところに関東大震災が起きます。
不幸にも亡くなった方々の亡骸は、しばらくは埋葬される事もなく、そこかしこに放置されていたという話です。特に、下半身も露わな姿で打ち捨てられている女性を見た人々は不憫に思い、やがて「女性は西洋下着を穿くべし」という運動が起こって、今のような西洋下着が普及した――という話。

白木屋デパート火災の場合。
火と煙に巻かれ、逃げ遅れた女性たちが、隣のビルとの間に張られたロープを伝って脱出を試みるも、集まった野次馬に下から覗かれるのを恥ずかしがって、着物の裾を片手で押えながら逃げようとしてして、力尽きて落下して亡くなったり、そのまま焼け死んだ者が多数出たそうです。
これがきっかけとなり、「女性は陰部を覆うような下穿きを穿くべきである」という教訓が生まれ、以来、女性は西洋式の下着を着用するようになった――という話。

まぁ、論調に似通った面はあるにせよ、これらの話は平成の世になった今でも、まことしやかに語り継がれ、一般的になりました。
ところが、これらの話はまったくの都市伝説≠ナある――と、井上章一氏は著書『パンツが見える』の中で述べています。
以下、その内容およびこの本を読んで書かれた数多の論説・文献によりますれば。

確かに、関東大震災直後の新聞では「女性は西洋下着を穿くべし」という社説が掲載されたり、白木屋デパート火災後には「女性店員はズロースを穿くべし」という社命が出たという事は実際にあったそうですが、だからといって爆発的に女性パンツが普及したかというと、そうではなかった事が歴史上からも明白になっています。
その頃から、下着を腰巻からズロースに転化して行った女性が増え始めたのは事実ですが、それはあくまで時代の流れであって、そこにたまたま関東大震災や白木屋デパート火災といったセンセーショナルな事件・事故が重なっただけであり、それが理由ではない――と述べられています。
まして、「恥ずかしさのあまり逃げ出せず、それが原因で亡くなった」という理由には、大きな疑問を呈しています。現に、白木屋デパート火災で亡くなった女性たちは、力尽きて落下死したとか、途中でロープが焼き切れて墜落死したとか、飛び降りた際に打ち所が悪くて亡くなったとか、煙に巻かれて一酸化炭素中毒で亡くなったとかは記録に残っていますが、「見られるのが恥ずかしくて逃げ遅れた」という記録は一個も残ってません。
(まぁ、生き残った女性の中には、幾人かは存在したでしょうが)
生きるか死ぬかの瀬戸際で、「見られるのが恥ずかしい」なんて事を考えてる暇はないはずだ――というのが、井上氏が持った疑問の一端。
そして、井上氏が論ずる疑問の大前提は、「当時の女性に、陰部を見られる事への羞恥心は薄い」という事です。

先にも述べましたとおり、明治・大正期――昭和に入って、太平洋戦争に突入するまでは、女性の下着は襦袢(腰巻)でした。
風が吹きゃバッと裾がめくり上がりますし、不用意にしゃがみ込めば、具だろうが何だろうが(「具」って言うな!///)見られてしまう事は日常茶飯事です。
何なら、寝ている男性の頭をバッとまたぎ、よしんば見られたとしても「あ〜ら、ごめんあそばせ♪」てなもんで、アッケラカンとしている。覗き込もうという男性がいたら、「そんなに見たいか!」と自ら裾をまくり上げる豪傑まで現われる始末。
そんな社会ですから、たとえ見られたとしても、今ほどの羞恥心は抱いていないはずだ――というのが根拠。
確かに、パプアニューギニアなんかの原住民は、乳だろうが何だろうがおっぽり出してても(「おっぽり出す」言うな!///)それを恥ずかしいと思わないのは、そうしているのが普通だからですよね。
風でめくり上がるとか、何かの拍子に見られてしまう事が普通な社会の中にいれば、感じる羞恥心もハードルが低いだろう事は、容易に想像がつきます。
おそらくはそこに、世の男性による大和撫子幻想≠ンたいなものが加味されてったんでしょうね。
「生きるか死ぬかよりも、恥ずかしさを優先させる。それこそが大和撫子のあるべき姿だ!!」
といった理想論めいたものが、これらの都市伝説≠生み出したのだ――と、井上氏は論じています。
(……そこまでは言ってないか)

では、いつから女性は今のような「パンツ」を穿くようになったのか? そして、いつから女性は下着を見られる事に恥ずかしさを覚えるようになったのか?
井上氏によれば、それは戦後――昭和30年代に入って下着ブーム≠ニいうものが起こってからなんだそうです。

ベースが作られたのは戦時中。
戦時統制化の中で、女性が身に着ける衣服は「もんぺ」一色になります。
動きやすく、しかも大股で動ける――確かに、空襲で防空壕に避難する時でも、着物で全力ダッシュは出来ませんよね。「一億玉砕、火の玉だ!」なんて声高に叫び、竹槍を振り回すんでも、着物よりはもんぺの方が戦い易いでしょうし。
で。
この「もんぺを身に着ける」という行為が、下半身をすっぽり覆う事への違和感を薄れさせ、それが後々の「パンツを身に着ける」という行為への抵抗感をなくす土台づくりになった、という事です。
そこへ、満を持してパンツの登場(笑)
昭和25(1950)年頃を境に、洋装文化が一挙に押し寄せ、それが一般大衆化して行きます。ちょうど戦後の混乱期が一段落を迎え、高度経済成長期に向かおうかという時期と重なります。
個人所得が上向き始め、ファッションに目を向けるだけの生活的余裕が生まれた事に加え、「洋装こそが民主化の象徴」「民主化に乗り遅れてなるものか」という、ある種熱病に冒されたかのような社会的風潮もあって、あっという間に洋装文化が日常化して行きました。
その中で、女性下着にも変化が見られます。
ズロース一辺倒だった下着も、より小さく、より体にフィットしたパンティへと。
当初、それらを手にするのは進駐軍兵士を相手とする娼婦(歴史的見地から、こう表現します)が主で、一般女性には浮気用・性愛用という性的イメージが付きまとい、毛嫌いされていました。とはいえ、形や肌触り、カラフルな色合いなどに購買意欲がそそられない訳ではありません。
購買欲を取るか、貞操観念を重視するか――世の女性の心が揺れ動く中、デパートや一般小売店での扱いが増え始めた事で一般化。下着ブーム≠ニいうものが生まれてきます。
衣料業界はこぞってファッショナブルな下着を生み出し、世の女性たちは競うようにして買い求め、やがて市場ではパンティが主流となり、ズロースは影をひそめるようになります。
それでもまだ、下着を見られる事に対する羞恥心というものは、非常に薄かったそうです。今ではとても信じられない事ですが、街中であってもスカートをたくし上げて、ストッキングを直す光景が、ごく日常的に見受けられたそうです。
やがて、戦後の西洋化教育、来日西洋人や娼婦の立ち居振る舞い、西洋映画などでパンツが露出する事を恥ずかしがる女性が登場するシーン(有名なのは、アメリカ映画『七年目の浮気』でマリリン・モンローが、地下鉄の通風口から吹き上がる風で舞い上がるスカートを手で押さえるシーンですね)などを目にする事により、「下着は見られると恥ずかしいものなんだ」という意識が、日本女性の中に芽生え始めます。
それが1960年代――昭和30年代後半の事と言いますから、ずいぶんと最近の事なんですね。

かくして。
女性の下着(と呼べるようなもの)が腰巻だった時代、「アラ見てたのね」的な開けっぴろげだったものが、西洋下着を身に着ける事で陰部が隠され、隠される事で陰部を見られる事に羞恥心を覚え、それがやがて下着そのものを見られる事に羞恥心を覚えるようになった――と、井上氏は結論付けています。
つまり、下着を見られることへの羞恥心は生理的・先天的なものではなく、「見られると恥ずかしいものと思わなきゃダメなんだ」という後付け%Iなものなんだ、と言うのです。


その羞恥心も、最近ではだいぶ薄れ、つい最近までは見せパン≠ネんつーのがあって、「別に見られても見せパン≠セから平気だモン!」とか平気で言ってのける娘もいる始末。
(そのくせ、実際まじまじと見られたら、「この人、やらしい目で私の事見るんです!」と騒ぎ出すんですよね。じゃあ、どないせぇっちゅうねん!!)
男目線で言うと、何とも嬉しい限り意味がわからないのが、女性の女性下着に対する考えなのですが。
それでも、バリエーションに限りがある男性下着に比べ、色もデザインも豊富な女性下着は、「選ぶ」という行為だけでも楽しみに溢れてるものじゃないでしょうか。
そこは羨ましいなぁと思いますね。
もしワタクシが女性だったら、きっと取っかえひっかえ楽しんじゃうだろうなぁ〜……などと思い、ふとその姿を想像いたしまして……吐き気を催して、トイレから小一時間出てこれませんでした(笑)





という事で。
これだけ「ぱんつ」「ぱんつ」騒いでたら、間違いなく変態視されるんだろうなぁ〜、と思いつつ。
ん〜……なんでコレで記事を書こうと思った!?(爆)

明日からは品行方正な(笑)讃岐屋さんに戻って。
間違っても「変態屋」とか「エロ商人」とか呼ばれませんように
僕、沢村一樹じゃないんでね(笑) 「エロ男爵」呼ばわりは困ります。
元より、商人でもないし(爆)

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)
朝日新聞社
井上 章一

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
男ぱんつ 女ぱんつ (2) 讃岐屋が行くわよっ☆/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる